jackpackerの日記

旅するアーティスト、Jackやで。バックパッカーの土産話、聞いてく?

【旅】弱小バックパッカーの奮闘記 vol. 26 世界一周の備忘録 ベトナム

前回の(死にかけた)記事はこちらー!!

 

 

jackpacker.hatenablog.com

 

 

ぐるぐる、ゴロゴロ・・・

あれからお腹はずっと悲鳴を上げている。

風呂には入れず、どこにも行く気力はない。

食べ物ももう、2日は口にしていないだろうか。

正露丸も、あと数日でそこを尽きる。

めっちゃ萎える。

体や頭がかゆい。かきむしり、気が付けば垢で爪は真っ黒に。

体中に老廃物がたまり、まとわりつく。

フィリピンで日焼けしたおかげで、ベッドには見事に僕の形をした

めくれた皮がこびりついていた。

僕の肌はまるで蛇のようになっていた。

 

 人間、体や歯をちゃんと洗わないと、

心まですさんでくる。(マジで)

 

次の日は、ほかの人と一緒にツアーだ。

さすがに風呂に入らないと。

とはいってもシャワーは冷水しか出ないので、

水に当たるのを最小限にするため

体洗い用のごしごしするやつを水にぬらして、

からだを拭く。

 

頭はシャワーの着地点を見て、服を着たまま洗った。

それでもガタガタ寒くて震えた。

まだ熱があるせいだった。

 

そうやって、たぶん3日ぶりくらいに風呂に入った。

タオルは黒くなったものの、

気分はすっきりした。

 

けど寒気もひどい。 

汚いベッドを力弱くはたき、

早く毛布にくるまり、明日に備えた。

ちなみに、いつしか部屋に住み着いたゴキブリは、

少し離れたところで僕の様子を見ているようだった。

 

タミーぐるぐる(腹痛)が治らないまま、

僕はメコンデルタツアーに参加した。

万が一に備えて、トイレットペーパーをパンツに敷き詰めた。

 

簡易おむつだ。

 

メコンデルタ

東南アジアの最大河川のメコン川の流れている

ベトナム南西部の三角州地帯のこと。

 

ツアーでは周辺の観光スポットを

日本語ガイド付きで案内してくれるとのことだった。

早速、待ち合わせの場所に行くとガイドさんがやってきた。

ベトナム人前歯が抜けたおじさんだ。

 

おじさんも流ちょうな日本語で話し出す。

「若いねー!!学生さん?」

ちょっと居酒屋なんかでからまれてる感覚。

 

でも気さくなガイドさんでよかった。

「今から別の人たちを迎えに行くからねー」

といって、セダンに招いてくれた。

10分くらいすると、立派なホテルの前に着いた。

ドアマンやガードマンまでいる。

まぶしかった。

 

こんな場所もあるんだ。

そう思いながら、待っているとひときわテンションの高い

(3,40代くらいの)お兄さんがやってきた。

「ちょっと待ってて!今仲間がトイレ行ってるから!」

とガイドさんに言ってゲラゲラ笑ってた。

しばらく待つと、申し訳なさそうに2人の男性と女性1人がやってきた。

「すいません、お待たせしましたー・・・」

 

全員集合したようだ。

車は2台に分かれた。僕とテンションの高い男性、そして女性が同じ車に。

ホテルを出発してしばらく。

テンションの高かった男性が、

「今日はよろしくお願いします。日本の方ですよね?」

と低姿勢で尋ねてきたから、

もちろんです。と返して身の上話が始まった。

 

彼は会社の社長らしい。

僕がちらちらと彼の袖口から覗く刺青を見ていると、「昔やんちゃでさ。」

とはにかんで答えてくれた。

そんな身なり、(と思ってしまったところ、まだまだ偏見があったんだろう。)

なのにしっかりとした人もいるんだ。

人は見かけによらないな。

 

社長さんは僕が19歳で、しかも一人で

世界一周をしていることにえらく感激してくれた。

「社長、この子といつか働けるといいですね!!」

 と女性が言って、「そうだね。」と、優しく答えて

にひひと楽しそうに社長も答える。

 

僕はこんなときどう返したらいいかわからなかったので、

とりあえず笑顔を返しておく。

「いつか僕も世界を回ってみようか。でも、会社休まなくっちゃなぁ。」

とため息をつくように社長がぼやいた。

 ・・・社長さんは大変そうだ。

 

そうこうしている間にはじめの目的地、メコン川の船着き場に着いた。

あいにく連日の雨の影響で、川は濁流だった。

船に乗り込み、また出発だ。

船頭さんがノンラーと呼ばれる傘のような帽子を渡してきた。

黙ってかぶると、「現地人やん!!!!」と全員から爆笑が起こった。

スマホのインカメで確認すると、そこには見知らぬベトナム人がいた。

僕だった。

顔濃いので、我ながらよく似合う笑

 

船から見渡す風景は、水、水、水。それはさながら海のよう。

途中で高床式の居住スペースがあることに気が付いた。

小屋やいけすもあり、足場のほうには犬が寝転んでいた。

何もないがのどかで、いい景色だ。

 

しばらく波に揺られたら、岸が近づいてきた。

映画でイメージしてもらいやすいのが、

ランボー4(最後の戦場)に出てくる川辺の村みたいな。

もしくはプラトーンの村。

 

桟橋から陸地に足を恐る恐る踏み入れる。

連日の雨で、ぬかるみは予想を超えるほどだった。

滑らないように注意していると、もはやそれが意味をなさないことがわかる。

踏み込んだ足が、ずぶずぶ…と冷たい泥の中に沈むのだった。

脚の真ん中、ふくらはぎまで足がしっかり地面に固定されてしまったので、

マイケルジャクソンみたいに体を傾けることができた。

 

四苦八苦して抜け出すと、ようやくまともな地面に出る。

岸から林を抜けると、そこには小さな工房のような建物があった。

どうやらここは、ココナッツ飴工場のようだった。

「皆さん、ここで少し休憩しましょう。」

 そうガイドさんが言った後、ぞろぞろと工場スタッフさんが

果物なんかを持って集まってきた。

モンキーバナナに、ジャックフルーツ

ドラゴンフルーツやランブータンまであった。

 

日本じゃなかなか食べられないもの。食感や味も独特でどれもおいしかった。

すると一人が、飴の原料でもあるロイヤルゼリーをすくってくれた。

「それもおいしいでしょ!!」とガイドさん。

 

数日間腹痛と闘ってきた体には、何よりの栄養だ。

ゆっくり味わっていると、「・・・買う?」

と聞いてきた。お上手ね。

さすがに荷物になるので断ったが、観光でなら買っててもよかったかもしれない。

 

そんなやり取りの間、ガイドさんはどこかに行ってしまった。

トイレかな?と思って待っていると、

ガイドさんは”お友達”と一緒に戻ってきた。

その”お友達”を見た瞬間、参加者の女性は固まった。

 

その正体は大蛇。体の太さは太ももくらいだった。

「触りたい人ー?」といじわるそうな笑みを浮かべながら聞いてきた。

参加者の男性一人と僕が勢い良く反応した!

だって、爬虫類かわええやん。

早速、男性が蛇の顎を撫で始めた。それに習って、

僕もゆっくりとなでる。

 

ひんやりムチムチしてて、気持ちいい。

とてもおとなしくて愛嬌のある蛇だ。

すると突然ガイドさんとスタッフさんが蛇を持ち上げて

僕の肩から首にかけて蛇を巻いてきた。

テレビとかでよく見る、例のあれだ。

ズッシリと体重がかかる。

少しずつ、少しずつ

ひんやりムチムチが体を這っていくのがわかった。

 

女性が恐る恐る、「その子、襲わないんですか…?」と尋ねると、

「朝、鶏いっぱいあげたから、大丈夫だ!!

しかも事故も、去年から起こってないし!!!」

とのこと。

いや、去年より前は起こってたんかい。と全員が突っ込みたそうだった。

 

次に工場を見学する。

飴は昔ながらの、すべて手作業で行われていた。

ココナッツを割り、中身を煮詰め、

(記憶は定かじゃないけど、ココナッツの殻を燃料にしていた気がする)

温めた飴を練り、棒状にして一粒ずつカットしていく。

そしてその一つ一つを包装し、梱包していく。

とても大変な作業だ。

 

作業しているほとんどが中年女性で、

その目は真剣そのものだ。

生活も懸かっているだろうし、この飴はベトナムをはじめ、

お土産としても多くの人に食べられるため、

職人としてのプライドもあるのかもしれない。

 

端正に作られた飴。

ありがたさと、食に対する崇高な何かを感じ取れた。

 

そのおかげか、頂いた飴はとてもやさしい味がした。

 

 

元気出たなぁ!!

to be continued

 

 

 

 

 

【旅】弱小バックパッカーの奮闘記 vol. 25 世界一周の備忘録 ベトナムベトナム

前回の記事はこちらー!!

 

jackpacker.hatenablog.com

 

 

日本のことが大好きでいてくれた旦那さんと

楽しく談笑していると、

「おまたせ!」と奥さんが料理を運んできてくれた。

おいしそうだ。

 

春雨の五目炒め、野菜炒め、川魚のおかゆ、野生のさくらんぼが振舞われた。

見た目はさながら中華料理みたいだ。

みんな目を輝かせて「いただきます!」と手を合わせた。

日本語でみんなでいただきますしたから、

なんだか学校の給食みたいで懐かしい。

 

早速春雨をかき込む。…おいしい!!

日本のものとさほど変わらない安心するおいしさ。

野菜炒めも同じくおいしかった。

 

さて、川魚のおかゆだ。少し緊張しながら食べた。

…これがうまい!!

刻みショウガが入っているから臭みなんてないし、

魚のうまみかおかゆにいいだしみたいな風味がついていた。

 

「正解は、これだよ。」と言って取り出したのは

AJINOMOTOだった。

「これがあれば、オールおっけい!」

 らしい。

 

うまいうまいと食べ続けて、結局3杯もお替りしてしまった。

それくらいおいしかったんだ。

 

最後にさくらんぼ。

これがまた少し変わり種で、身は小ぶりでさほど甘くなく、

むしろ渋みと酸味が強いものだった。

それでも何故か癖になる。

 

山のようにあったさくらんぼも、みんなで談笑しながら食べると

あっという間になくなった。

 

食事と楽しい時間のお礼をして、自分の部屋に戻る。

身も心も満たされた。

満足して、昼寝をした。

数時間後、不快感で目が覚めた。

苦しい。息がしずらい。呼吸困難だ。

全身のけだるさと、便意、視界のゆがみで

訳が分からなくなる。

 

10分くらいだろうか、感覚を慣らして何とかベッドから這い出る。

熱っぽさもあったから、バッグの温度計を取り出して

脇にぶっさしてトイレに腰かける。

 

たらりと何かが太ももまで滴る。

あ、これヤバいやつだ。

と思って、あるだけの力を振り絞って出す。

腹筋に力を込める。すると、強烈なボディーブローを

食らったかのような感覚がみぞおちに来て、

その次に吐き気がこみあげてくる。

まさに体中の穴という穴から

液体が出ていこうとしていた。

 

苦しい苦しいとは書いているが、当時はそんな比ではないほどきつかった。

悶絶し、意識も何回か飛びかけた。

体温は39・8℃。寒気も感じる。

原因はおそらく、川魚のおかゆだろう。

(川魚なんかには、熱を通しても死なない寄生虫や菌もいるそうな。)

 

こんなに苦しいのはフィリピンでもなかった。

トイレからは、はいつくばってベッドまで移動した。

吐き気と頭痛なんかと闘いながら、休憩を入れて移動する。

体温計を戻すついでに、正露丸と水を枕元までもって。

 

そこからは仰向けになって体をベッドに預けて眠ろうとするが、

呼吸がうまくできなくなってしまった。なので浅く呼吸する。

正直、寝返りを打つのもしんどい。

胃の中から洪水が出てきそうだったから。

おなかは張り、手足からは力が抜けむくんでいた。

気をしっかり保とうと、足をつねるが感覚までどこかに行ってしまったみたいだ。

生気なんて全くなかっただろう。

 

苦しさと格闘しているうちにいつの間にか意識を失ったらしい。

意識が戻ると僕は何故か三重県の自宅のソファに横たわり、

見慣れた天井を眺めていた。

あぁ、帰ってきたんだ。

そう思って心底安心した。

 

すると、一緒に住んでいるばあちゃんが声をかけようと近づいてきた。

しかし何も聞き取れない。口は動いているのに。

続いて、母親がやってきた。神奈川にいるはずなのに、どうして?

「ちょっとちょっと、はよ起きな。」と昔と変わらない口調で言った。

でもなんかおかしい。声と口があってない。

 

「起きな。」と言われ続けて目が覚める。

気が付くと、薄暗いベトナムの宿の部屋だった。

心がフリーズした。何にも感じられなかった。

なぜここに自分がいて、どういう状況か飲込めない。

 

しばらくぼーっとする。そして自分の体調が悪いことを思い出した。

相変わらず体は動かせないので、首を動かしていると、

雨宿りしに来たらしい、大きめのゴキブリが壁にいた。

のそのそと動くやつを見て

お前も逃げてきたんだな。と思った。

特別な感情も何もなく、その動きを目で追う。

 

そのままだとしょうがないので、改めて布団に入りなおし、

耳元でポッドキャストを流す。時間は確か、朝4時12分だった気がする。

感情がしびれてしまって、聞き流すだけ。

まるで、”モノ”にでもなった気分だった。

 

外ではゆっくりゆっくりと日が昇っていき、

空はそれに合わせてだんだん白くなっていく。

その代わりに僕の視界は徐々に暗くなっていった。

 

 次に目が覚めたのは13時ごろ。

ケータイはかなり熱を帯びていて、必死にポッドキャストを流し続けていた。

充電は残りわずか。ポッドキャストを切って充電する。

そのついでにトイレへ向かう。

やはり昨日と同じ調子だった。ベッドに戻るころにはへとへとになっていた。

少し動いただけでこの体力の減りようだ。

とりあえず正露丸と水。これだけは摂ろう。

フィリピンでも摂っていたから正露丸は残り少ない。

 

薬を飲み、眠り、トイレに行き…

の繰り返しがこの後二週間続いた。

 

ベトナムだけではなく次の国でも体調は治らず。

そんな日々の中、ベトナムの部屋に一回来客があった。

部屋を探していたラテン系の女の子とオーナーだった。

たまたま僕の着ていた服がサッカーユニフォームだったので、

女の子が「サッカー好きなの?」と聞いてきた。

自分はそうでもなかったので、この服をくれた友達が好きなんだというと、

少し残念そうだった。

二人と別れると、おもむろに向かいの扉があいた。

「どうも…」と言って声をかけると、冒険家っぽい白髪のおじいちゃんが

あいさつを返してくれた。オーストラリアから来たらしい。

自分の旅の話をすると、彼は自分もむかしバックパッカーだったと話してくれた。

お話は本国のこと、日本にも来たこと、トラブルなどなど。

おじいちゃんはちょうどこの時チェックアウトだったので、

会えたのはこの時限りだった。

しかし彼の話で勇気づけられたし、少し、というか、かなり元気になれた。

 

一期一会。まさにそれだ。

 

いろんな出会いがあるから、やっぱり出かけたくなる。

でも、トラブルに会ったりするのが怖いのも事実だ。

今回みたいなトラブルも、無事に済めば儲けもん。

ハイリスクハイリターン。

飛び込むか退くか。それはあなた次第。

そのさじ加減は、人それぞれ違う。

そしてそれが、あなたの旅もとい人生の味になるんだ。

 

ベトナムの滞在も残りあとわずかだ。 

to be continued

 

 

 

【旅】弱小バックパッカーの奮闘記 vol. 24 世界一周の備忘録 ベトナム

 

前回の記事はこちらー!!

 

jackpacker.hatenablog.com

 

ベトナムの朝。

宿の2階の僕の部屋から

トントンと音を響かせながら冷たい金属の階段を降りると、

オーナー一家が子供たちの学校の準備をしていた。

 

ノロノロと外に向かおうとしていたら、

「今日お昼暇?よかったら料理をふるまうわ」とオーナーから

うれしいお誘いをいただいた。

ぜひ!という返事にオーナーは満足げな顔を浮かべていた。

 

では、またあとで!と声をかけて出かける。

そして近くの公園などを散策することにした。

公園には健康のためか、様々な運動器具が並んでいたり、

おばちゃん集団が少林寺拳法かラジオ体操のような運動をしていたり、

散歩するおばちゃんの手には、例の犬退治の棒が握られていたり。

公園の沿道沿いには、びっしりとバイクやスクーターが停まっていた。

 

エスニックな空気を改めて感じた。ちなみににおいもエスニック。

そんなベトナムは、ちょっぴり僕の冒険心を刺激した。

そこで、もう少し散策することにした。

そこまで遠くに行く自信はなかったので、本当に少しだけ。

 

大通り。道にひかれた車線なんて関係なく、ひっきりなしにバイクが走っている。

バイクも一人乗り、二人乗り、3人乗り、(と豚一匹。)

などなどいろんなライダーがいた。

他にも、街には日本語の看板や、『日本に行こう!』みたいな

スローガンをよく目にした。

これは、2015年当時、日本への技能実習が流行り始めていた影響だと思う。

今でも技能実習を通じて多くのベトナムの方が来日している。

それだけ日本が信頼に熱いんだと思うと誇らしかった。

 

なるほど、日本語教室もある。

街の看板、あれは…、ドラえもん

ドラゴンボールの梧空のTシャツは残念ながらよれよれだ。

日本のアニメ最強。

 

ホーチミンのはずれの郊外を街歩きして、雰囲気を楽しんだ。

時間はお昼時。そろそろ宿に戻って食事をいただこう。

ようやく慣れてきた道を目指して、今まで来た道を戻る。

…着いた!

 

ロビーにも入ると、オーナー奥さんは調理中らしく、

代わりにオーナーの旦那さんがこちらに向かって手招きしていた。

初めましてだ。にっこり笑って挨拶しようと思ったら、

「こんにちは。」と日本語で挨拶してきてくれたのだった!

どうしてわかるんだろう、と思って質問したら、日本で働くために

日本語を若いときに勉強したのだそう。日本にも何回か行ったとのこと。

「長野でしたスキーが一番楽しかった。ここではできないことだから。」

本当に流ちょうに日本語を操っていた。

「ちなみに子供たちも勉強中だよ。」そう聞いてますますうれしくなった。

 

今にして思えば、相当努力して日本語勉強されたんだな、と。

そして、こんなに日本を好きでいてくれているのは、ありがたいことだ。

さらには自分の子供にもその魅力を伝えてくれているんだ。

こうして国と国の関係っていい感じになっていくのかな。

と、そう思った。

 

テレビでは、ちびまる子ちゃんが流れていた。

【コラム: 技能実習生】

最近、コンビニや喫茶店、作業現場なんかで外国人の方をよく見かけませんか?

必死に覚えて慣れた日本語で、「いらっしゃいませ」。

日本の接客は世界一だとすると、それに従事する彼らの努力は計り知れない。

 

技能実習生として主にアジアから優秀な若者が日本にやってくる。

日本とベトナムをはじめとした関係国との良好な信頼関係が続けばいいのだが、

近年では技能実習生の日本での職場環境が悪かったり、

労働内容や低賃金に悩む実習生は少なくない。

それに加え、外国人に対する差別問題も根深いため、

実習先として日本を選ばなくなっている現実がある。

また、日本で生活、働くうえで重要な日本語習得のサポートもかなり弱い。

ベトナムの場合、日本に派遣が決まった技能実習生は、

(組織にもよるが)おおむね数か月間ベトナム日本語教育を受けて日本に送られる。

しかし、数か月の教育では十分とは言えないのは想像に難くない。

そこで、来日後は各自治体や民間団体、

さらには企業がボランティアで日本語教育を行っている場所もある。

ただし、その存在を知っているかどうか、継続して本人が勉強できるかどうか。

そんな問題もはらんでいる。

最近は技能実習生も日本以外の国、

韓国やタイなどに派遣されるケースも多く、日本に比べ待遇もいいため、

このまま日本が襟を正さないと、関係諸国との関係まで悪化しかねない。

 

僕自身、ある街の日本語教室で1年間日本語教師のボランティアをさせてもらった。

そこに通学していた人たちは、東南アジア、中央アジア、南米などから来ていた。

ちなみに年齢も様々。(7歳~50代)

学習意欲は人それぞれ。日本語検定を積極的に受ける人、ずっと通ってくれた人、

授業についていくのがやっとでも頑張った人、いつの間にか来なくなってしまった人。

そんな生徒たちが口をそろえていってくれたのが、

「(辛いこともあるけれど)日本で生活がしたい!」だった。

そのために、日本語を学ぶ意思を示してくれた。

中には働いている職場の不満を愚痴る生徒もいたが、

「不満は恐れ多くて言えないよ。僕らは招かれたんだから。」

といって、はにかんだ生徒もいた。考え方もまるで日本人だ。

旅人の僕にとって、「考え方が変わる」のは、とてもよくわかる現象だ。

そんなこともあって、異国の地に来る彼らにとても親近感を感じた。

 

だから、いつか彼らが本国に帰った時、

日本の印象が悪かったら。

日本人の印象が悪くなってしまったら。

そう思うと、とても怖い。

 

そして彼らにとても申し訳なく思う。

 

 

 

当たり前のことだけど。

僕らは生まれた国こそ違うが、

やっぱりおんなじ人間なんだよ。

 

to be continued

 

 

 

【旅】弱小バックパッカーの奮闘記 vol. 23 世界一周の備忘録 ベトナム

 

前回の記事はこちらー!!

 

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少し悶々としながらホーチミンに帰った。

帰りの車窓から見えたのは、綿菓子のようにまったりとした色の雲空と、

朝日に照らされた数々の工事現場だった。

 

建ちかけのビル、新しい道路。

行き交うダンプカーに、少し眠たそうな作業員。

一歩ずつ、自分たちの将来を彼らの手で築いていく。

…この国は、今まさに成長中だ。

 

今はあちこちにあるいくつかの日常…

穴ぼこ道路も、さながらバラックのような家も、

いつか懐かしく感じるんだろうか。

 

流れてゆく風景をしり目に、僕は再び眠りについた。

時々、バスが道の穴にはまって体が浮いていたが、

それすら受け入れられるようになっていた。

つかの間の睡眠。

 

 

ホーチミンまではあっという間だった。

でも、気持ち的には考えること(前回の男性のことなど)があって、

行きよりちょっぴり遠くに感じた。

 

朝早くのホーチミン。その時、ここの昼間の活気なんて僕はまだ知らなかった。

シーンと静まり返り、空気まで寝ぼけているようで、

少し不思議な気分になった。

 

静かな町の路地に、僕。ひとり。

 

コンビニで水ととりあえず軽くつまめるものを買って自分の部屋に戻る。

オーナーの娘さんたちがテレビを見ながら地べたで朝食を食べていた。

こっちに気づくと、眠そうに挨拶してくれた。

 

部屋についたら、少し落ち着く。

荷物を放り、とりあえず用を足す。コーラ、飲みすぎた。

少し長めに腰かけすっきりしたのもつかの間、

ピーの色がウーロン茶だった。

旅に出てからわけわからんものばかり体からクリ出るな。

 

そんなこともフィリピンで慣れてしまったのか、

何事もなかったかのように流して、変なテンションでクククと一人笑いを噛む。

少しずつ旅慣れしていく自分に、うれしさと多少の狂気を含んで。

そうしてべッドになだれ込む。

 

バスで眠ったが、眠気はすごい。

色褪せたハローキティのシーツにくるまり、

ものの数秒で夢の中だ。それはまるで海の中。

体が沈んでいく感覚。

意識もゆっくりと、潜っていった。

 

目が覚めると、日はすっかり沈み21時を過ぎたくらいだった。

部屋の外ではしとしとと、雨が屋根や壁をたたいた。

そしてバイクの排気音がひっきりなしだ。

何をするにも微妙な状況。

 

 

仕方がないので、お菓子をつまみながら情報収集だ。

フランス統治時代のこと、ベトナム戦争や、今の経済発展などなど…

知らないことだらけだった。

そんなの事前に調べろという人もいるだろうが知ったこっちゃない。

これは僕の旅なんだから。これが僕のペース。自己責任さな。

 

情報の海をネットサーフィン。

その中で面白いものを見つけた。

ベトナムの人たちは外に出るときどうやら

棒を持って、移動するそうな。

それは、野犬、狂犬に襲われたときに戦えるように。

だそう。

 

確かに、別の日に街歩きをしていたら、

仲良く棒を持ったおばちゃんグループに遭遇した。

場末のヤンキーみたい。

裏を返せば、それだけ被害があり、

そんなことが日常的なことなんだと思った。

日本じゃまず関わらなかったし、関心すらなかった。

ここまでのベトナムの旅では、

不思議と気性の荒い人(悪気はないし、責めるつもりもない。)との

出会いが目立ったが、彼らの気持ち環境によるものなのかも。

今は、目の前の生活で目いっぱいの方も大勢いる。

見えない傷を負った人も。

でも、ベトナムは今後はもっともっと力をつけていく。

それとともに、彼らの心も豊かになることを願っている。

 

 

そんな環境のもと、彼らと共にさせていただいた。

知らない一面も、多少知っていたことも、

輪郭がだんだんとはっきりしていった。それでも、まだ霧がかっている。

そんな霧が少しでも晴れることを考えながら、

今日もどこかへ旅に出ている。

to be continued 

 

【旅】弱小バックパッカーの奮闘記 vol. 22 世界一周の備忘録 ベトナム

 

前回の記事はこちらー!!

 

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なんだかんだバスの時間まではまだまだある。

そして歩き回ったせいもあって、おなかは減っている。

…となったら食事だ。

最近ブログが食べログっぽくなってきたな。

 

ふらりふらりと街をさまよう。すると一件目に留まった。

”SUSHI BAR”

 

久々に日本食が恋しくなっていた。

というより、一人で寂しかったのかもしれない。

”慣れた”食事、環境、人たちすべてが恋しかった。

 

でも、ここまできて日本食か… 旅人の名が泣くのでは…?

とか本気で思って悩んでいた。

そんなもんだから、お店の前を行ったり来たり。

 

それでも体は正直なもんなので…

客引きのおねぇさんの前で盛大にぐぅぅぅ…とおなかが鳴ってしまい、

おねぇさんと目が合い、「食べてく?」と言われたので、

素直に「はい。」と答えて暖簾をくぐる。 

 

「いらっしゃいまぁせぃ!!」

とお店の人たちが迎えてくれた。

節約生活なので、一番安かった鉄火とサーモンを頼んでみた。

 

「Here you are.」

と出されたお寿司はつやがあってとてもおいしいそうだった。

失礼ながら意外だったので、いい意味で期待を裏切ってくれた。 

でもよく考えてみるとここ、港町だし。

当然っちゃ、当然か。

 

テーブルの上に置かれた醤油。

あぁ、キッコーマンの醤油だぁ…!

と小さなことでも感動していた。

 

早速、サーモンからいただく。

…うん、うまい!!!厚切りだし、脂のノリがいい!

続いて二番手、鉄火巻き。

ちょっと海苔には白いもの(白い海苔かな?)が混じってるけど、おいしい。

ガリもちょうどいい味加減。

 

≪総評≫ 懐かしの味に感動して、力がみなぎった。

ちなみにこのころはサーモン一択だったが、

今ではアジが好き。大人になった。

 

さて、完食して時計を見ると17:45ころ。

バスは18時から、のはず。

ちょうどいいや。いよいよこの町とおさらばだ!

そしてバス停の受付へ。

 

「あ~、これ20時からだよ。」

 

え、何!?2時間待たなあかんのん!?

って顔していると、確認してみるね、とのこと。

でもやっぱり、この時間ではないとのこと。

「ここで待っていてもいいよ。そこの水は自由に飲んでいいからねぇ。」

とほぼ壊れているウォーターサーバーを指さして言った。

蛇口が明後日の方向を向いていた。

どうやったらこんな風に壊れるんだ。という壊れ方。

 

仕方がないのでイスを借りて待つことに。

iPodで曲を聴く。警戒のため、イヤホンは片耳だけ。

少し、冷たい潮風が流れてきた。

足首組んで、腕も組む。

 

水分摂取量がえげつないので、水は必要ない。

ダムもほら、限界だし。

 

30分くらいかなぁ。経った時、係の人が肩をたたいてきた。

何だと思って顔を上げると、

「手伝って。」

ウォーターサーバーの水の交換を頼まれた。

 

え、あ。はい。

と渡されたボトルをつかみ、水の交換をした。

あれ?客だよな、僕。

 

という文化のギャップを感じつつ振り返ると

頼んできたやつが僕の座ってたイスに腰かけていた!

いやいやいやいや。なぜじゃ。

これを見ていた受付していた人が、そのスタッフに注意してくれた。

怪訝な顔をして云った去っていったが、

去り際床に置いていた僕のカバンに蹴躓き、

後味の悪い瞬間だった。お互いに。

 

19時。受付に人に念のため確認する。

「21時だよっ!!」

あれれれれれれれれ?20時じゃなかったっけ!?

その旨を伝えても、「21時。」の1点張り。いやぁ。

しんどい。

 

スタッフさんのシフトがあるらしく、何人か新しい人たちが来た。

その中でも大柄な体格のスタッフさんがだるそうに僕を見ていた。

僕は死んだ魚のような目で見つめた。

すると受付の電話が鳴る。

その男性がぎこちない動きで受話器を取ると僕は、はっとした。

 

指がない。男性の指がなかったのだ。

そして、反対側の腕も、ひじから先がなかった。

びっくりしていたのと、じろじろ見るのも失礼なので

目線を外して曲に集中した。

すると、男性の声が大きくなり、テンションも上がっていった。

たまらず両耳にイヤホンを付けた。

しばらくはそれでよかったが、突然受付の様子が騒がしくなる。

何かを引っ張り出して、設置し始めた。

20時半。

 

僕はここでまたしてもカルチャーショックを受けることになってしまう。

運び込まれたものは、なんとカラオケマシンだ。

勤務中ね。一応。

はじめの歌い手は女性だったが、2回目からは例の男性がマイクを離さない。

そんな光景は、さながらジャイアンリサイタルだ。 

僕を含めお客そっちのけだった。 

 

そのくせ欧州系のお客が来たとたん、態度を変えて業務に戻ったので、

そのお客さんの後ろに並んで、乗り場などを確認しようとした。

例の男性スタッフさんに聞く。反応がない。

もう一度聞くと、「次のはお前のバスじゃねぇよ。」

と言われ、さすがに腹が立った。

隣のスタッフさんに確認すると、僕は確かに次に来るバスの乗客だと言って

確認と乗り場の案内までしてくれた。

良かった…。帰れる。

 

どっと疲れが噴出した。そこから10分待機。

バスが来た。

運転手にチケットを見せて、席に着く。

今回は床の席。ほっとしてくつろいでいると、先ほどの男性スタッフがやってきて、

「てめぇ、ここは違う席だ!!どけ!!」と言ってきた。

だったら後の席か、と尋ねたら

「Yes, sir!!!!」と怒鳴り去っていった。

 

周りの乗客は同情の目を向けてきた。

恥ずかしさより悔しいのが強い。

この時はもうめちゃくちゃで、疲れたし、メンタルつぶれた。

…寝よう。

 

 

後々男性との一連の出来事について思ったのが、

僕もいけない態度を取っていたかもしれない、ということもある。

 

そして男性については、そもそもなぜあんな性格だったのか。

これは僕の勝手な想像だけど、もしかすると男性は、

戦争に巻き込まれて手と指をなくしたのかもしれない。

あるいは事故かもしれないけど。

席を移動させられた時、彼のことを間近で見たんだ。

 

 

【生々しい傷あと。】苦手な人は飛ばして。

 

手のひらから腕にかけて傷ついて、服から露出した首にも傷跡があった。

手のひらの吹き飛んだ関節の部分は割けて割れていた。

同様に吹き飛んでしまったひじも、枝分かれのような状態。

そして怒った眼は、何に対しても怒っているような感じだった。

 

 

 

 

戦争は弾痕や、不発弾だけでなく、人にも傷跡を残している。

その悲しみや怒りは、飛び火していくんだろうな。

 

もっと別の理由かもしれないけど、出来事の根本を突き詰めてみる。

そう考えたら、彼も被害者かも。だから、僕はもやもやしていたけれど、

もうどうでもよくなった。

 

ホーチミンへの道すがら。

今度の12時間は、少しだけ長く感じた。

to be continued

【旅】弱小バックパッカーの奮闘記 vol. 21 世界一周の備忘録 ベトナム

 

バインミー食べたらなんだか、元気が出たぞ。

 

前回の記事はこちらー!!

 

 

jackpacker.hatenablog.com

 

 

もぐもぐ。バインミーを片手に。

ちなみにバインミーが、僕のベトナムでの初めての食事。

せっかくいろんな町や人と出会うために旅に出たんだし、

しばらく街を歩いてみよう。

 

場所なんて知らないので、とりあえず興味のありそうな方向へ。

街のメインストリートから外れると、あれれ…!?

道はボロボロ、お店らしい建物も、なんだか民家みたいだ。

メインストリートに比べると、ゴミも目立った。

川?からはヘドロのようなにおいが立ち込めて、何かの死骸も浮いていた。

そこは、同じ町とは思えない風景だった。

 

ショックだった。

まだ歩いて5分もたってない。

道一本で、世界ががらりと変わった。

 

じっくり通りを観察しながら歩き進んでいると、

道端に犬が寝転がっている。

息苦しそうに、舌を出してゼイゼイと呼吸していた。

がりがりに痩せた犬が呼吸する度、その浮き上がったあばらが浮き沈みした。

その近くには子犬もいた。僕が近づくと弱々しくうなった。

その親子を見ていると、どこかフィリピンで出会った

ストリートチルドレンたちのことを思い出した。

何とも言えない光景だった。

 

そんな犬をしり目に、通りを進む。

すると、向かいの通りからドスの利いた鳴き声が聞こえた。

ヴァォン!ってこんな感じ。

振り向くと、かわいいチワワがこっちを振り向いた。

まさかね。このチワワがそんな声を出すわけないじゃん。

しばらくくりくりお目目に見つめられていると、

再びヴァォン!!という声が通りに響いた。

 

チワワが、チワワが確かにいま吠えた!!!

ステロイドでもやってそうな野太い声。

そんなチワワが全速力でこちらに向かってきた!

キバむき出し!!しかもこいつ、泡吹いてないか…!?

そのチワワが泡かよだれかわからんものを口からまき散らして

突進してきた。

 

あぁ、この犬たぶん狂犬病

狂犬チワワ。

とにかく逃げなくては…

ヴァォン、ヴァォンと煽られながら、とりあえず走った。

向こうも興奮して走ってくる。

トラックが先に停まっている。そこまで走ろう。

チワワはずっと僕に着かず離れず走ってくる。

メッチャ睨んでくるやん。こっわ。

高速道路の走り屋でも出せないくらいの覇気だ。

 

トラックに着くと、僕は減速して陰に隠れた。

タッタッタッタと駆けていた足音が少し遠のく。

ヴァォン!!ヴァォン、ヴァォン!!…と鳴き声がシーンと静かになった。

 

その静けさ、気味が悪い。

そろそろ出ようかな、と身構えたとき

ペタペタペタ…。ひょこっ

行く手をふさぐように狂犬チワワが立ちふさがった。

 

ヴァォン。(みぃーっけ♡)

みたいな声で鳴きよった。

ホラー映画さながらの展開だ。

 

もうここは、覚悟を決めるしかない。

僕を襲うやつは蹴飛ばすぞ。相手がたとえチワワでも。

えいやっと気合を入れて一歩踏み出すと、少しチワワが後ずさりした。

今度は走らず、ゆっくり、一歩一歩踏み占めるように前へ進んだ。

相変わらず吠えてくる。煽られても、負けねぇ。

ヤンキーのサラブレッドを(父、母=ヤンキー、スケバン)なめんなよ。

 

※僕はヤンキーではない。

 

 

噛みつきこそしないものの、ついてくる。

冷や汗や嫌な汗はかきっぱなしだ。

そして20分くらい進んだだろうか。たまたま目に入ったお店に転がりこんだ。

どうやらチワワはお店には入ってこないようだった。

と思ったらお店の人、チワワに向かってホースを持って放水!!!

チワワは一目散に逃げだした。

た、助かった…

狂犬病犬は、水を怖がるらしい。

 

入ったお店は食堂だった。レトロな時代のまま時が止まってしまった雰囲気。

食ってばかりな気もするけど、ここで遅めの昼ご飯にしよう。

時間はすでに三時前。

何にしようかな…?食あたりとか起こさないかな…

と心配しながらフォーと生春巻き、マンゴーシェイクを頼んだ。

ど定番なんだろうけど、楽しみだなぁ。

 

にしても、のどが渇いた…

フィリピンよりは気持ち涼しいとはいえ、むしむしする。

あっつい。いろんな汗かいたせいで、不快感は半端なかった。

ハエがたかりそう…。

一応、水は出されたけれど、飲まないことにした。

のどは死ぬほど乾いていたけれど、やっぱり、こわい。

 

しばらく待ちつつ、潮風に涼んでいると、

来た来た!!!お待ちかねの食事だ!!

ホカホカのフォー、カラフルな生春巻き、そして冷えたマンゴーシェイク!!

そして何やら草が盛り付けられたお皿も。

店員さんに尋ねたが、英語は通じない様子。

そんな時はボディランゲージ。

人間、言葉がなくても伝わるもんだ。

どうやら香草類らしく、お好みで食べるらしい。

 

いっただっきまーす!!

のまえに、食器類にも気を付けたほうがいい。まだ水滴の着いたものもある。

僕のモノもまだ濡れた食器だったから、こっそり拭いてからいただいた。

(別に、こっそりする必要はない。)

 

【食事の感想】

つるつるとフォーがどんどん胃に流れていく。

スープは優しくも、香草のおかげで刺激のある味。

温かく少し待ったりした胃袋に、次は生春巻き。

野菜が新鮮で、サクサク。エビも入っててそれは踊る食感。

ソースは少し辛口でいいアクセントだ。

マンゴーシェイクは冷えてて、安定のおいしさ!あまい!甘酸っぱい!!

それがいい。

 

≪総評≫ さっぱりしておいしい!疲れた日に是非食べたい。

 

ゆっくりと食事。大満喫。

 

ふと、足が疲れ果てていることに気が付いた。

足に血液がぶわぁっと流れる感覚があったからだ。

今、歩いたら足割けちゃう!くらいパンパンに張っていた。

緊張状態で、あれだけ歩いたからなぁ…

 

少し休ませてもらうと、歩けるくらいには回復できた。

お代を払って、お店を出る。いいお店だった。

念のためにバスの時刻を確認しに行くことに。

 

やっぱり夕方の6時半からだった…

まだまだ待たなくてはいけない。

のどは相変わらず乾きっぱなしだったので、

近くの喫茶店で休みながら待つことに。

そこでコーラを頼んだ。貴重な水分だ。慎重に飲むぞ…。

 

そう思って、グラスに口を付けた瞬間、

ダイソンも驚きの吸引力!!!!

ものの数秒でコーラは消えた。

嘘。

正確には口いっぱいにアワアワになったコーラが広がっている。

(note; 乾ききった口にコーラが入るとメントスコーラになる。)

それをこぼさないようにするので必死だ。

少しのどに流すと、のどが締め付けられるような感覚が…

やべぇ、犬の次はコーラに殺される。本気でそう思った。

四苦八苦しながらコーラと格闘していると、

すこし、向こう側が見えた気がしたよ…。

 

ようやく飲み終わると、すぐに次の一杯に。

今度は慎重に。

調子乗るとすぐにメントスコーラ。

そんな調子で空気の塊がどんどん胃に蓄積されていった。

おなかは一杯なのにのどが渇いている、しんどい状態。

さすがにいったん落ち着こうと、コーヒーを頼んだ。

見たことのない出され方。

なんか、グラスで出てきて、蓋がされている。

極めつけは底のほうに1センチくらいのミルクの層が!!!

 

思い出した。これはいつか師匠が言っていた、ベトナムコーヒー】だ!!

フランスの伝統的な淹れ方に甘い練乳が入っている。

ミルクだと思っていたのは、練乳だ。

混ぜて飲むものだが、混ぜなくっても相当甘い!

まるでお菓子がそのまま飲み物になったかのよう。

上澄みはおいしく飲むことができたが、

底にとごった甘々な練乳を飲む気にはなれなかった…笑

 

≪総評≫ これはあれだ、コーヒーではなく、スタバだ!!

 

 

そのあと、なぜホットを頼んだのか自問自答した。

結局そのあとコーラを3杯くらい頼んだ。

もう、おなかいっぱい。

 

to be continued

 

【旅】弱小バックパッカーの奮闘記 vol. 20 世界一周の備忘録 ベトナム

 

前回の記事はこちらー!!

 

jackpacker.hatenablog.com

 

することも勇気もなく海辺で迷走すること2時間。

相変わらずリュックに括り付けた靴にケツを蹴られまくってる。

道の途中で道案内の看板を見ていたら、ベトナム語ロシア語、英語、中国語…

すごいな、ロシア語ここで見れるとは思わんかった…!

あ、ベトナム戦争… ベトナム社会主義国…だった…!

 

歩き疲れたので適当に腰を掛けていると…

小学生かな?のグループが先生と歩いていた。

すると一人の子が「Hello…」と自信なさげに挨拶してきた。

この子、すごいなぁ。と思って「Hello!」と返すと、

その子の表情がパッと明るくなった。

すると、このことが引き金になり、周りの子供たちが続々とあいさつしてくれた。

「私の名前はね…」「調子はどう?」

きっと覚えたてなんだ。わからなさそうにしている子には

ひそひそ話で教えてあげている子もいた。

次々に応対していったら次は握手の嵐だ。

小さい手を握っては

「よろしくね」「会えてよかったよ」

と言った気がする。

先生も僕の話を聞いてくれて、「旅、がんばってね!」と励ましてくれた。

とてもあたたかい時間。

最後にハイタッチをしてみんなとお別れ。

最初に声をかけてくれた子に勇気をもらえた。

そしてみんなからは、元気がもらえた。

 

 

そうこうしていたら、お昼が近い。

おなかが減ったや…。

ベトナムの食べ物なんて、フォーしか知らないや…

食べ物を探してそこら辺を歩いていたら、

屋台をしていたおばちゃんと目が合った。

アオザイと傘を身に着けたおばちゃんは、大きな目を少し細めて

僕に向かって何か話してきた。

「?」ベトナム語がわからなかったから困っていると、

おばちゃん、はっとして「ごめんねぇ。外国の方?」

と英語で聞いてきてくれた。

 

現地人だと思われたらしい。

ちなみに僕の顔は、東南アジアっぽいらしい。濃い顔なのだ。

 

出身も聞かれて日本だよと答えると、

「本田~~~」とあがめられた。いや、僕は田中だ。

いや名前のことではなくて、

ベトナムではバイクが多いからね。日本のバイクはホントにいい!!」

とのこと!確かにバイク一台に一家全員がまとめて乗ることもある(文字どおり)

のに壊れにくくパーツも確保しやすいから、ずっと使える。

日本の製品は遠い地でも、今でも活躍している。

 

さて、おばちゃん。おなか減った!

何を売っていいるお店なん?と聞くと、

「ちょっと待ってて!」と慣れた手つきでパンを切り、

そこにたっぷりと野菜やスルメ(?)やハムなどの具を詰めて…あ、サンドイッチか!

完成したらバインミーと言って、渡してくれた。

はじめ、そのサンドイッチが出てきて「bite me.(〈直訳〉私を噛んで)」

と聞こえたので笑えた…笑 パンの立場なのね…と思いながらいただくと、

 

 

めっちゃおいしいいい!!!!なにこれ!?

バインミー(bite me)。」

うん、食べる食べる!!この名前は!?

バインミー(bite me)。」

わかったって!んで、名前は?

「これは、バインミーという料理なの!笑」

というところで、ようやく理解した。

めちゃくちゃおいしい!!!

 

おばちゃん笑ってたなぁ…恥ずかしい。

お代を払って、「いい時間をありがとね!じゃあ!!」と言ったら止められた。

「リュックの靴、危ないから袋に詰めな」とビニール袋を分けてくれた。

「楽しんどいで!!!」

お母さんみたいな人だった。

 

 

 

バインミーの感想】

フランスに統治されていた時代もあるベトナム。その影響は各所に見られる。

このバインミーに使われているパンもそうだ。

こんがり焼けたフランスパンは、カリカリもちもち、弾力もあって美味!

中の具材も店や地域によって違うらしく、今回食べた具の中には

スルメのような味のするイカが入っていた。魚醬の味かなぁ…?

野菜もたっぷり入れてくれて、食感も楽しめた。栄養バランスもよさそう。

この時パクチー初めて。はまってしまったようだ。

 

≪総評≫

すしの次に好き!ベトナム料理では一番好き!!

 

そのうち家で作ろうかな、バインミー

 

to be continued