jackpackerの日記

旅するアーティスト、Jackやで。バックパッカーの土産話、聞いてく?

【旅】弱小バックパッカーの奮闘記 31歩目  世界一周の備忘録 ベトナム

パァン、パァン…

と森の中に破裂音が響く。

僕たちは射撃場に入っていった。

 

射撃の前のお話…!↴

jackpacker.hatenablog.com

 

射撃場に入ると、受付で何発撃つか尋ねられる。

ある程度FPSやってたりミリタリーに興味のある人なら

知っているであろう「M16」や「AK47」、

第二次世界大戦で使われた「M1カービン」、

ランボーで有名な「M60」も選べた。

 

他にもM2重機関銃やRPD軽機関銃、63式自動小銃などもあったが、

選べるものは先ほど挙げた4点だけに決まっていた。(2015年当時)

 

やはり、ベトナム戦争は米ソとの代理戦争の一つ

だったこともあり、銃はアメリカ製とソ連製がメイン。

 

僕はわけあってAK47を選んだ。

どんな環境でも故障しにくく、少し練習すれば子供でも撃てる。

オーバーではなく、実際ギャングや少年兵がこの銃を

握っている姿を映した写真は珍しくない。

世界中のあらゆる争いで1947年から今日でも誰かに握られている銃だ。

 

そんな銃はどんな重さか?

どんな反動か?狙ったときどう見えるのか?

それを握る気持ちは?

僕はどうしても知りたかった。

 

こんなことまで知らなくてはいけないのか?

という人もいるかもしれないが、ここまで知らないと

銃を握る理由もわからないと思った。

 

なんせ、日本からは世界で一番とおい世界なのだから、

知らなくて当たり前。それに知らなくてもいいことかもしれない。

 

好奇心も確かにあるが、フィリピンでナイフを突きつけられ、

国際協力を志している僕にとっては、

どうも無視できない。

(別に僕が銃で戦うとかそんなんじゃない。うまく言えないけど…)

 

 

さて、銃を選んだらいよいよ射撃だ。

ちなみに10発で3000円が最低金額だった。

弾は追加料金で増やすことも可。

AK47

 

イヤマフ(耳当て)を渡されたら早速開始。

それまでにスタッフの兄さんが装填、

安全装置の解除までしてくれる。

すぐに撃てる状態だ。

 

操作とかの説明はなかったけど、問題なく扱えた。

木と鉄でできたストックに肩と頬を預ける。

グリップを握り込み、銃身を支える。

照準と空の間から的を見た。

 

もちろん銃撃つのは初めてで、かなり緊張している。

耳をふさいでいたので、心拍数が

上がっていることに気づく。手汗も…

 

ゆっくりと恐る恐るトリガーを引くと、

あっという間だった。

ガツンッ!!という甲高い音にガチャッという機械音、

飛んでいく薬きょうの音(これは頭の中でかもしれない)が

一度に聞こえた。

それとともにズシリとそれでいて素早く重みが

肩にもたれかかってきて、そして、消えた。

 

撃ちきった後は、何とも言えないスカッとしたような、

そして強くなったかのような感覚だった。

正直、的に当たったか見えなかった。

というか覚えていない。

 

興奮してた。

 

そばで見てた女性曰く、「すごい!半分は当たってた!」

とのことだったが…

 

つまり、そういうことだった。

 

そのあとで参加していた男性陣も撃ち始めた。

男性の一人は慣れない格好でM1カービンを

パカパカ撃ってお疲れ気味。

一人は音に驚いてキャンセルしてしまった。

社長はM60で連射してた。

「すっげぇ、これ!!!」

とハワイアンシャツからタトゥをのぞかせながら

ニッカニカと笑う社長さん。

まるで映画のアメリカ兵みたいに

弾をぶちまけて楽しそうだった。

 

これにて、クチトンネルのツアーは終了だ。

 そして、案内してくれていた軍服さんとはお別れ。

彼のおかげで何も知らなかったベトナム戦争のすさまじさ、

そして自分の国を守った当時の人たちの戦いを

知ることができた。

 

ありがたいことに平和で平穏な環境で育った日本人の僕にとって、

想像を超えた傷跡を知り、いろいろ考えることがあった。

 

ちらりと、アメリカで友達になったベトナムアメリカ人の

友達のことを思い出した。

 

その友達はいわゆる移民2世、3世世代で、

彼らのおばぁちゃん、おじぃちゃんがアメリカにやってきたそうだ。

このベトナム戦争を逃れるために命がけで海を渡ったという。

移民だったか、難民だったかはっきり覚えていない)

 

その友達曰く、その当時のことはあまり聞けなかったり

することもあるそうだ。

今でもその頃の苦悩で悲しそうにしていたりするし、

残してきてしまった友人や家族などもいたからだそうだ。

 

そういった意味でも、

この戦争は多くの人たちを

引き離してきたんだろう。

 

 

 

帰り道。

夕方に差し掛かった

ベトナムの空はピンク色だった。

かつて銃声と爆音が響いていた街で、

今はバイクとクラクションが忙しそうに、

それでいて平和に鳴っていた。

to be continued