jackpackerの日記

旅するアーティスト、Jackやで。バックパッカーの土産話、聞いてく?

【旅】弱小バックパッカーの奮闘記 33歩目 世界一周の備忘録 タイ

 

 

 

台湾→フィリピン→ベトナム

そしてタイにやってきた。

快適な空の旅の半分は夢の中だった…。

前の国、ベトナムのお話はこちらから!↴

jackpacker.hatenablog.com

 

体調が悪いこともあって

宿のチェックインを早く済ませたかったので、

空港からはタクシーで向かうことにした。

 

住所と宿の名前を伝えて、出発。

街を走る車窓からは、

想像とは違った空気が漂っていた。

ベトナムと似ているところもあるが、

雰囲気はやはり違った。

東南アジアとひとくくりに言っても、

それぞれの国に特徴があって面白い。

 

ホーチミンのそれより高いビル群や、

大きなショッピングセンター、

スーツ姿の人や新しめな車も。

国境一つ越えただけなのに、

こんなにも違った。

(ただし、もちろん地域にもよる。)

 

 しばらく走るとのろのろとタクシーがゆっくり走り始めた。

運転手のおじさんはナビをにらみ工事現場の前で停まった。

するとおじさんはそこにいた人に話しかけ談笑し始めた。

客乗せてるのになぁ…。

まぁ、東南アジアのペースってやつかな。

そうおもっておとなしく待っていた。

 

1分、

2分、

3分…

 

明らかに道を聞いたりしている雰囲気ではない。

窓から様子をうかがうと、

話し相手がこちらに気づき指をさした。

その顔は薄ら笑みを浮かべていた。

 

こいつら。 

 

その後運転手はたばこのにおいを漂わせながら

車内に戻ってきた。

道中、咳払いしたりしたが

悪びれた様子はなかった。

少しして宿に着く。

 

「いつもより道が混んでた。」とか

「長い時間運転した。」だったかで

チップを要求されたが、払う義理はない。

手持ちがないと適当に言うと、

そいつはタンを吐いて去っていった。

 

あぁ、またこんなことされないといけないのか…。と。

つくづく嫌な思いにやられた。

メンタルガン萎えである。

 

なんか頭も痛くなってきたし、

とっととチェックインしよう。

受付で部屋を聞くと、

「ちょうど同じ部屋に日本人がいるよ!」

とのことだったので、少し安心した。

 

今回停まったドミトリーは、

アーティスティックでウォールアート

階段や壁にほどこしてあって、

個人的にドストライクな空間だった。

ロビーで映画見れるし、

DJブースやダーツもあった。

夜になると毎晩パーティだ。

控えめに言って最高やん。

 

部屋はみんなが外出中なのか、

がらんとしていた。

※生活感はある。

 

 

ひとまず”プライベートスペース”の確保だ。

開いていそうな二段ベッドの下の段を確保した。

(下の段のほうが自分の寝相とかで迷惑をかけにくいので好み。)

トコジラミもいなさそうだし、

窓があるし、クーラーまである!!!

天国かよ。

 

早速荷物から洗濯ひもを出して、

”蜘蛛の巣”を作るぞ。

要はベッドの柱などをうまく利用して、

洗濯物を干したり洗濯物などで

カーテンを作るというもの。

プライバシー大事。

 

今日からこの棺桶分のスペースが

僕の”家”だ。

ロッカーがないから、

バックパックは壁に寄せて、

ワイヤーと南京錠でロック。

心配性はここまでやってた。

 

一通り落ち着いたし、

トイレとシャワー見てこよう。

ドミトリーでは、

たいていシャワールームにはトイレも一緒だ。

紙使えるかなぁ。と。 

 

シャワールームもきれいだ!

シャンプーも石鹸も備え付けだ!!(これはうれしい!)

やはりトイレもある。

紙は…

 

 

 

 

 

 

使えん!!泣

 

あはん。

あれです。

備え付けシャワー(トイレについてる。)

桃を洗えってことだね。

 

躊躇するなぁ…

環境のきれいさとのギャップが…笑

 

着替えを取りに戻って、

代わりにトイレットペーパーと淡い期待は

バックにしまった。

 

やれやれ。

背に腹は代えられん…よね?

 

なんだか頭もぼおーっとするし、

このときは腹にたまった気持ち悪いものを

どうにかしたい気持ちのほうが勝った。

 

アムロみたいな気持ちで神妙な面持ちで便座に座り、

次の瞬間には解き放たれたような感覚になってた。

 

もう何も考えずに煩悩を流して

シャワーを右手に取り、

左手で桃を洗浄した。

 

何とも言えない気持ち。

便座はびちゃびちゃ。

桃もびちゃびちゃ。

罪悪感というか後ろめたさというか。

悶々とした18歳の夏。タイにて。

 

 

ただね。

 

紙よりは桃に負担少ないよ。経験談

 

 

 

あぁ、何だこれ。

これじゃただのクソブログじゃん。笑

 

この後めっちゃ手洗った。

to be continued

【旅】弱小バックパッカーの奮闘記 32歩目 世界一周の備忘録 ベトナム

ホーチミン周辺のツアーが終わり、

夕焼けでピンク色になった空の

帰り道だった。

 

観光の様子はこちらー!!↴

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帰り道、皆さんお疲れで

ほとんど寝てしまった。

海外で移動中にこんなに安心して

寝られるのも珍しい。

 

僕が起きたのは社長さんグループのホテルの前に

着いた時だった。

あわただしく、「じゃあ!旅頑張ってね!!」と言ってお別れした。

 

きれいな宿が羨ましかった。

僕の宿だって、悪くはないけど…

冷房や窓のある部屋にあこがれた。

でも、今振り返るとこれもいい経験だった。

 

ほどなくして、僕も朝の集合場所に着いた。

「ありがとうございました!」とお礼を言ったら

ガイドさんは握手してくれた。

「これからも気を付けてね!」

そう言って僕も別れた。

 

宿に着くと、オーナー奥さんがいつベトナムを発つのか

聞いてきてくれた。そうだ、明日のお昼にはベトナムを発つ。

時間を伝えていなかったのでお昼だというと、

「友達のタクシー呼んであげるね!」ということだったので、

その親切に甘えることにした。

 

その後僕は慌てて部屋に駆け込んだ。

いや、その、おなかが、ね…

用が済むと、部屋に置いていた

荷物をまとめて明日に備えた。

次の目的地はタイ。初めての”王国”なので、

およそ10日ほどの滞在。

文化の違いなど知れるといいな。

 

今回は慌てえることがないように事前に宿を取っておく。

これで大丈夫なはずだ。

空港から宿までの道のり、 名物、簡単な言葉、マナーなどなど…

そのほかのこともざっと調べておく。

 

そして、タイのあとはカザフスタンに行く。

アメリカでできた友達が何人かいるので、

その友達に連絡したら、ありがたいことに

家に泊まらせてもらえそうだ。

 

 今日は正露丸を飲んで、おとなしく寝た。

キティちゃんベッドともこれでお別れだ。

 

翌朝目覚めると、フライトにはまだまだ

時間があった。

なので汚れてしまったシーツや部屋を

簡単に掃除して時間をつぶした。

 

いいころ合いになるとひんやりした

鉄の階段を下りた。荷物のせいか思い出のせいか、

僕の足取りは、少し、寂しげに重々しい。

いろいろあったが、いい経験がたくさんできた。

カン、カン、カン…と寂しげにかわいた足音が

天井へと響いた。

 

下に着くとオーナー家族が待っていた。

みんないつもと違って正装していた。

「車が待ってるよ!行こう!!」と奥さん。

 

オーナー夫妻と下の子は空港まで一緒らしい。

上の子は学校らしく、ここでお別れ。

外に出ると、黒のSUVが僕たちを待っていた。

車が買える人が少ないこのベトナムではかなり珍しい。

 

奥さんが助手席に乗り運転手さんと何かやり取りしていた。

ほんの10分程度で空港に着いてしまった。

今までよりなんかやけに小さな空港だ。

(もしかすると、空港ターミナルビルのこと

だったかもしれない)

 

宿の夫婦に車代を払おうとしたら断られた。

「次にまたホーチミンに来たら、ぜひまたおいで。」

といって車は去っていった。

本当にお世話になりました!!!!!

 

そのあとはいつものように、航空会社のカウンターでチェックインだ。

列はそこまで混んでいなくて、割とスムーズでよかった!

僕の番だ。受付にいたのは若いお兄さん。

 

しげしげと僕を見てこう言った。

「こんにちは、あの、最近韓国行かれましたか?」

「いえ…」と答えたものの、

その意図がわからなかったので、首をかしげていると、

”風邪”ではないですね?」と聞かれて合点がいった。

 

2015年の夏当時、韓国ではMERSというコロナウイルスが流行っていたのだ。

この記事を書いている2020年では別のコロナウイルスが世界中で流行っているが、

この時もそれなりの緊張感があったのを覚えている。

 

僕は体調が悪そうにしていたし(実際おなかの調子が悪かった)

皮膚が日焼けでボロボロだった。見た目からして怪しい。

そこで色々聞かれたに違いない。

 

「大丈夫?」と皮膚を指されて聞かれたが、

「火星(マーズ)に行って日焼けしちゃった!」と返したら

笑ってくれた。

 

「良い旅を!!」!といって見送ってくれた。

もうずいぶんと前のことだったけど、今でも覚えているくらい

気持ちのいいお見送りだった。

 

 

そのあとは、順調な空の旅だ。

空の上では安心して寝られる。

数時間もかからないほどの短いフライト。(お値段もかなり安い!)

 

 空港に着いた。新しくてきれいな空港!

ムンとした温かさと、不思議な香りがした。

ここはタイだ!

to be continued

【旅】弱小バックパッカーの奮闘記 31歩目  世界一周の備忘録 ベトナム

パァン、パァン…

と森の中に破裂音が響く。

僕たちは射撃場に入っていった。

 

射撃の前のお話…!↴

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射撃場に入ると、受付で何発撃つか尋ねられる。

ある程度FPSやってたりミリタリーに興味のある人なら

知っているであろう「M16」や「AK47」、

第二次世界大戦で使われた「M1カービン」、

ランボーで有名な「M60」も選べた。

 

他にもM2重機関銃やRPD軽機関銃、63式自動小銃などもあったが、

選べるものは先ほど挙げた4点だけに決まっていた。(2015年当時)

 

やはり、ベトナム戦争は米ソとの代理戦争の一つ

だったこともあり、銃はアメリカ製とソ連製がメイン。

 

僕はわけあってAK47を選んだ。

どんな環境でも故障しにくく、少し練習すれば子供でも撃てる。

オーバーではなく、実際ギャングや少年兵がこの銃を

握っている姿を映した写真は珍しくない。

世界中のあらゆる争いで1947年から今日でも誰かに握られている銃だ。

 

そんな銃はどんな重さか?

どんな反動か?狙ったときどう見えるのか?

それを握る気持ちは?

僕はどうしても知りたかった。

 

こんなことまで知らなくてはいけないのか?

という人もいるかもしれないが、ここまで知らないと

銃を握る理由もわからないと思った。

 

なんせ、日本からは世界で一番とおい世界なのだから、

知らなくて当たり前。それに知らなくてもいいことかもしれない。

 

好奇心も確かにあるが、フィリピンでナイフを突きつけられ、

国際協力を志している僕にとっては、

どうも無視できない。

(別に僕が銃で戦うとかそんなんじゃない。うまく言えないけど…)

 

 

さて、銃を選んだらいよいよ射撃だ。

ちなみに10発で3000円が最低金額だった。

弾は追加料金で増やすことも可。

AK47

 

イヤマフ(耳当て)を渡されたら早速開始。

それまでにスタッフの兄さんが装填、

安全装置の解除までしてくれる。

すぐに撃てる状態だ。

 

操作とかの説明はなかったけど、問題なく扱えた。

木と鉄でできたストックに肩と頬を預ける。

グリップを握り込み、銃身を支える。

照準と空の間から的を見た。

 

もちろん銃撃つのは初めてで、かなり緊張している。

耳をふさいでいたので、心拍数が

上がっていることに気づく。手汗も…

 

ゆっくりと恐る恐るトリガーを引くと、

あっという間だった。

ガツンッ!!という甲高い音にガチャッという機械音、

飛んでいく薬きょうの音(これは頭の中でかもしれない)が

一度に聞こえた。

それとともにズシリとそれでいて素早く重みが

肩にもたれかかってきて、そして、消えた。

 

撃ちきった後は、何とも言えないスカッとしたような、

そして強くなったかのような感覚だった。

正直、的に当たったか見えなかった。

というか覚えていない。

 

興奮してた。

 

そばで見てた女性曰く、「すごい!半分は当たってた!」

とのことだったが…

 

つまり、そういうことだった。

 

そのあとで参加していた男性陣も撃ち始めた。

男性の一人は慣れない格好でM1カービンを

パカパカ撃ってお疲れ気味。

一人は音に驚いてキャンセルしてしまった。

社長はM60で連射してた。

「すっげぇ、これ!!!」

とハワイアンシャツからタトゥをのぞかせながら

ニッカニカと笑う社長さん。

まるで映画のアメリカ兵みたいに

弾をぶちまけて楽しそうだった。

 

これにて、クチトンネルのツアーは終了だ。

 そして、案内してくれていた軍服さんとはお別れ。

彼のおかげで何も知らなかったベトナム戦争のすさまじさ、

そして自分の国を守った当時の人たちの戦いを

知ることができた。

 

ありがたいことに平和で平穏な環境で育った日本人の僕にとって、

想像を超えた傷跡を知り、いろいろ考えることがあった。

 

ちらりと、アメリカで友達になったベトナムアメリカ人の

友達のことを思い出した。

 

その友達はいわゆる移民2世、3世世代で、

彼らのおばぁちゃん、おじぃちゃんがアメリカにやってきたそうだ。

このベトナム戦争を逃れるために命がけで海を渡ったという。

移民だったか、難民だったかはっきり覚えていない)

 

その友達曰く、その当時のことはあまり聞けなかったり

することもあるそうだ。

今でもその頃の苦悩で悲しそうにしていたりするし、

残してきてしまった友人や家族などもいたからだそうだ。

 

そういった意味でも、

この戦争は多くの人たちを

引き離してきたんだろう。

 

 

 

帰り道。

夕方に差し掛かった

ベトナムの空はピンク色だった。

かつて銃声と爆音が響いていた街で、

今はバイクとクラクションが忙しそうに、

それでいて平和に鳴っていた。

to be continued

【旅】弱小バックパッカーの奮闘記 30歩目  世界一周の備忘録 ベトナム

暗く、湿り気があって、

壁が迫りくるように窮屈なトンネルを出た。

穴から出ると、呼吸が自然と深呼吸だ。

 

トンネルに入る前はこちらー!!↴

jackpacker.hatenablog.com

 

穴から這い出ると、「どうだった?」

女性が聞いてきた。僕は、

「まるで息が詰まりそうで…。暗いし狭いので進むのが大変でした。」

そう答えると、

 

「入らなくてよかった…。」

女性はそう答えた。

まったくもって、その通りだと思う。

 

戦時中の人たちはそんな環境で、

様々な恐怖と闘わなくてはいけなかった。

 

響く怒号や悲鳴、漂う血や火薬などの匂い、

外で戦う人たちが帰ってきたのか、敵兵が攻撃しに来たのか。

 

死ぬリスクはこの地下壕にだって付きまとう。

そんな当時を想像するだけでも、胸が苦しい。

 

そのあと軍服さんが、罠について説明してくれた。

落とし穴に竹槍や鉄の針が無数に設置されたモノや、

落ちたら二度と出られない、もしくは無傷では済まないであろう、

ハンドミキサーの先に刃物を付けたような罠が

地面の穴から刃をのぞかせていた。

 

そこから少し進んだところに盛り土がしてあって、

そこから煙が出ていた。「ここで料理をしていたんだ。」

と軍服さんが説明する。地下で料理。

匂いや煙で気づかれないようにする工夫だそうだ。

 

「戦車もあるよ!」とガイドさんが言うと、

男性陣は目を輝かせた。むろん、僕も!

さび付いて、キャタピラもなくなった戦車は、

少しうつむきながらこちらを出迎えた。

 

「乗ってもいいよ」と言ったガイドさん。

耳を疑って僕が聞き返している間に、

他の男性陣はあっという間にその戦車に飛び乗った。

 

「ほら、来なよー」と皆さんが手招きする。

「写真、取ってあげるよ!」とガイドさんが言ってくれたので、

カメラマンを任せた。

 

 

「さすがmade in Japanは規格外だね!!」

ガイドさんのコメントにみんな爆笑!

 

その戦車を後にすると、道端に生春巻きの皮が干してあった。

…昼食の、おいしかったなぁ。

 

そのすぐそばで、面白い展示があった。

「昔、車のタイヤでサンダルを作っていたんだ!!」

とガイドさん。
「でも、足の裏すぐ真っ黒!」と言っていた。

 

このジャングルでサンダルだったのか…!

罠も、服もサンダルでも自分たちで作って

あのアメリカと戦って勝ったのは、驚きだった。

 

「食べてみて!戦争の時、これを食べて戦ってた!」

そう言ってガイドさんは芋っぽいものを僕に差し出した

食べてみると、特に味もしないような

はっきり言って個性のかけらもない芋だった。

 

「これね、キャッサバと言ってね、bubble teaわかる?」

ガイドさんは尋ねてきた。台湾で飲んだやつだ!

「タピオカ!!」

「そう、その原料です!」

 

へぇ、この芋がねぇ…

そうしげしげ眺めて、残りも一気に平らげてしまった。

 

少し歩くと、乾いた破裂音が聞こえてきた。

「銃も撃てるよ!お金かかるけど、やる?」

とガイドさんの問いに、みんなが「うん!」

興味津々に答えた。

to be continued

【旅】弱小バックパッカーの奮闘記 29歩目  世界一周の備忘録 ベトナム

ゆっくり、胃に気を使いながら

少しずつ料理を飲み込んでいった。

こんな体調だと食事も一苦労だった。

 

 

 前回の様子ー!↴

jackpacker.hatenablog.com

 

食事を食べ終えて、お茶を飲んでから

次はいよいよ最終目的地に向かう。

 

行き先は「クチトンネル」

ん?トンネル?って人も多いと思う。

 

このトンネルはただのトンネルではなく、

ベトナム戦争で使われた、いわゆる地下壕/要塞のようなものだ。

ベトナム戦争では非常に重要な役割を担い、

ベトナムアメリカ軍に対して

勝利した要因の一つになった。

(詳しい説明は後で!)

 

 

しばらく車で移動して、施設に着いた。

 

受付が終わり、少し歩いて半地下の小屋のようなところで

ビデオを見ながらクチトンネルについて教わる。

はずが、テレビが故障していたので、先にいろいろ見て回った。

 

建物の中には戦時中の白黒の写真の数々、

そして、ガラスケースの中には古めかしいライフルが葦のように

びっしりと立てかけられていた。

 

さらに、その近くには大小さまざまな砲弾や地雷も。

たけのこの様なものから、

人の胴体くらいの大きさのものまで。

 

その展示スペースから外に出る。

すると、ベトナム戦争時の軍服に身を包んだ人

案内してくれる。

 

少し歩いて半地下の小屋のようなところで

ビデオを見ながらクチトンネルについて教わる。

はずが、テレビが故障していたので、

簡単な説明を受けて、先にいろいろ見て回った。

 

施設のあちらこちらに当時の様子を再現した

人形があり、その時の生活を黙々と僕らにつたえてきた。

軍服さんが足を止め、何か語り始めた。

 

「ここにはたくさんの仕掛けがあります。」

ガイドさんが日本語に翻訳してくれた。

「一見落ち葉に隠れて見えないけど…」そう続けて、かがみこむ。

次の瞬間、彼は落ち葉の塊をつかむと

地面にぽっかりと小さな穴が現れた。

これがクチトンネルの入り口。

 

大きさは小柄な人なら通れそうなくらい。

 軍服さんはスルリと入って、バンザイしてフタを持ち上げながら

地面の中に消えた。

 

 落ち葉がくっつけられたフタは周りの地面と

完全に同化していて、見た目では全く分からなかった。

みんなでまじまじ見ていると、

いきなり僕らの後ろから軍服さんが現れた!!

 

 どういう仕組み化というと、

このクチトンネル、巨大なアリの巣のようになっていて、

入り口があちらこちらにあるため、

このように奇襲攻撃をかけることができた。

 

僕もその穴に入らせてもらった。

ら、プリケツで引っかかった。

…うーむ。

 

気を取り直して、別のトンネルの

入り口(横穴)から入ってみる。

腰を曲げないと通れないほどの隙間だ。

 

つねに腰を落とした状態で、30メートルくらい移動して、

別の出口から出てきた。

あんな姿勢を丸一日なんて考えると…

 

ちなみにそのトンネルの長さ、全長200キロにもなるとか。 

そのため、このトンネルの中で数日間生活できるようになっていたり、

ベトコン(簡単に言うとレジスタンス)の秘密会議基地に使われていたらしい。

 

この中で身を潜め、敵が来たら奇襲する…。

そんな息が詰まるような生活がここにあったのか…。

 

この後も、戦争の断片をたくさん見せていただけた。

to be continued

 

 

・ 

【旅】弱小バックパッカーの奮闘記 28歩目  世界一周の備忘録 ベトナム

 

雨はザワザワと降るわけではなく、

サラサラと霧のように舞っていた。

今回のお話は、前回到着したリゾートのような食堂から!

 

前回の記事はこちらー!!

jackpacker.hatenablog.com

 

車を降りると早速ガイドさんが係の人に受付をしてくれた。

「ここで休憩しますよ!さぁさ、中へどうぞ…」

そう言ってすぐに僕らは中に通された。

 

意外と中は庶民派というか、フィリピンでよく使ってた

バハイクボ(フィリピンの小屋)によく似ていて、少し懐かしさを感じた。

数日前までフィリピンにおったけど。 

よく旅行帰りすぐに「○○に帰りたいわー」っていうあれだ。たぶん。

 

料理が来るまで少し時間がかかるそうで、

ガイドさんはジュゥっと煙草に火をつけた。

「いる?」と言って僕に煙草を差し出す。

僕は「いえ…」と断ると、彼は少し不思議そうな顔をした。

 

その様子を見て社長さんが、「ダメだよ、彼は未成年なんだ。」

説明してくれた。ガイドさんは合点がいった様にうなずいて、

「すみません!」ってぺこりと頭を下げた。

 

「じゃあ、僕がもらっていいですか?」と参加者の男性が

嬉しそうに小さく挙手した。「どうぞ!」とガイドさんと

男性は席を立って一服しに行った。

 

「あ!ずるい!!」と言って社長さんが

ニヤリとしながら、どたどたと後を追う。

たばこってそんなにうまいんか?とか思ってた19歳の夏。

 

参加者の女性が「タバコ吸わないの?」と尋ねてきたが、

この当時僕はたばこなんて絶対吸わないと決めていたので、

「いやぁ、絶対に吸わないですね!」と胸張って言った。

 

ちなみに、

海外ではタバコがチップになる場合がある。

タバコケーションによって、友人やいろんな情報を得ることも!

海外をうまく旅するうえで、あると便利なことが多々ある。

 

もちろん注意点も…

 

注意:宗教上タバコがNGな国もある。

そして基本的に公共の場での喫煙日本と同様NGだ。

吸い殻もきちんと自分で処理しないと…

体に悪いことには変わりないので、ほどほどに、ね。

 

そうこうして、たくさんの料理が運ばれてくる。

こんがりしっとり焼きあがった焼き魚、

サクサク野菜の生春巻き、

ほくほくな煮物や

ジューシーなフルーツも。

 

みんなは勢いよく食べていたが、

僕はおなかの状態がcautionなのでちまちま食べた。

久々に食べたまともな食事だし、かなりおいしかったものの…

 

皆さんそんな僕を見て、ペースを落としてくださった。

本当に申し訳なかった…笑

 

どれもおいしかったのに、たくさん食べられなかったのが

今でもかなり悔やまれる。

焼き魚にフルーツの数々、

このほかにも、たくさんのローカルフードを逃したのはデカい。

 

旅においても、健康が第一だ。

 

 

いや、マジで。

to be continued

【旅】弱小バックパッカーの奮闘記 27歩目  世界一周の備忘録 ベトナム

 

前回の投稿からずいぶん(半年以上ですね)と経ってしまいました…!

すいません!!

 

前回はおなかを下しながらも、

メコンデルタツアーに参加して、

手作りキャンディ工場を訪れたお話でした。

 

前回の記事はこちら!

jackpacker.hatenablog.com

 

大変ご無沙汰しておりました!! (ごめんね)

続きのお話ですー!

 

 

 

ベトナムの人気お菓子、手作りキャンディの工場を後にした

僕たち一行は、ジャングルのような道を歩いていた。

 

道路のわきには、野生のバナナやドリアン、ジャックフルーツなんかが

なった木々がわさわさと生えていた。

 

まさにジャングル! Welcome to the jungle!!

 

てくてく森の中を歩いていると、道の先から大量のココナッツ

それこそ、農家の干し草運ぶような荷台に

大きく山積みになったー、

積んだバイクにまたがったカップルが道の凸凹に揺られながら、

ノロリ、クラリと、しかし迫力満点に迫ってきた。

 

125㏄もあるかどうかわからないバイクのエンジンは、息絶え絶えだ。

(ちなみにベトナムでよく見かけるバイクは100㏄クラス。)

 

驚きの光景に目を丸くしながら見ていると、

「ホンダー!」と言って、バイクのお兄さんは

タンクを指さしニッと笑って手を振りながら去っていった。

 

後に残ったのは湿っぽい土埃と、

ジャングル特有のモイスチャー。

ほんの一瞬の出会いだった。

 

 

 

 

 

 

そのまま森を抜け、ガイドさんに連れられながら

ようやく駐車場に着いた。

 

行きはボートでの移動だったため、

どうやってここまで車を移動させたのかは知らない。

 

「おつかれさまです!ささ、今からおいしいご飯食べましょ!」

とガイドさんの陽気な声で、みんなの顔が少し緩んだ

おなかはみんな、ペコペコだった。

 

 

道中、物乞いの人やバラックのような建物をたくさん見た。

そんな風景が目に入るたび、

きっと僕は難しい顔をしていたんだろうな。

 

ベトナムは今まで厳しかった。

でも、これからはきっと大丈夫。

日本の会社や技術でたくさん助けてもらったから。教えてもらったから。

今度はベトナムが、成長してあなたたち日本の人に恩返ししたい。」

 

そうガイドさんがおもむろに口を開いてくれた。

 

「道端にいる彼らも、仕事を作るできれば、生活はよくなる。

そうすれば悪さする人も少なくなるし、国もいい方向に進んでいく。

だから、今、ベトナムの人一生懸命!」

 

そう微笑みながら誇らしげに語っていた。

 

 

誰でも苦しいこともある。

それでも、寄り添ってくれる人(たち)がいる。

 

苦しみがわかるからこそ、痛みがわかるからこそ、

人は手を差し伸べるのだろう。

だから自分もそうでありたい。

 

彼の話そうとしていたこと、言葉に込めた意味を

旅の間くみ取りながら、しっかりと胸に刻んだ。

 

 

しばらく周りの風景はあまり変わらず、

天気は少し、雨模様になってきた。

 

車で移動すること約20分。道の駅のような立地に、

さながらリゾートのような場所に一行は到着したのだった。

 

 

 

ベトナム小話・バイク編~

ベトナムでバイクを乗る場合、

50㏄以下なら免許なしで誰でも乗れるそう。

ただし、あまり50㏄以下のものは見かけたことないです。

 

前述の通り、100㏄バイクが多いので

100㏄バイクに乗ろう!となりますが、免許必要です!

 

しかもベトナム日本の国際免許が使えません!

 

(無免許は当然、違反です。

捕まったら、警察と交渉…という話も聞きました)

 

しかし、日本で二輪免許(原付不可)を持っている人

ベトナムの国際免許へ書き換えができるとのことです。

to be continued