jackpackerの日記

旅するアーティスト、Jackやで。バックパッカーの土産話、聞いてく?

【旅】弱小バックパッカーの奮闘記 vol. 19 世界一周の備忘録 ベトナム

 

前回の記事はこちらー!!

 

 

jackpacker.hatenablog.com

 

東南アジアの気候になれてきたころのお話。

フィリピンでは日本人と過ごしていたため、一か月ぶりの一人旅となる。

 

ベトナムホーチミンに着いたのが、確か早朝4時ごろ。

宿より空港で寝たらええやんって思ってたら

追い出されちゃった…。

その日の宿は空港のwifi使って見つけたらいいやって思っていたので、大打撃。

どうしたものか。

 

 

とりあえず、空港の外に出なくてはいけないので、

候補に挙げていた宿をタクシーの運ちゃんに見せた。

「ここに行きたいんやけど…」

すると運ちゃん、「この時間は閉まってるぞ。

友達に宿やってるのがいるから聞いてみようか?」

連絡を待つと宿泊のOKが出た!宿泊費も、一晩2000円ほどとのこと。

「んじゃ、いくぜい」とタクシーは夜のホーチミンを走っていった。

その間、身の上話や家族のことを話しているうちに運ちゃんと仲良くなった。

 

タクシーで20分ほど。目的地に着いた。ちょっと?すたれたホーチミン郊外。

こじゃれたお店とかはないけれど、地元の人が和気あいあいと暮らしている雰囲気。

タクシーの運ちゃん、オーナーさんに連絡を取ってくれて

「待ってな。もうすぐ迎えに来るよ。」

待つこと数分。ハローキティずくしのお母ちゃんがやってきた。

「あんた、こっちだよ!」とすこし強めの態度で接してきた。

朝早くにすいません…。

「お代はいいから、行きな!」とタクシーの運ちゃん。

いい人だ…

 

そこで運ちゃんと別れて宿へ。

「はい、ここで靴脱いで。ついてきて。」

玄関を抜けると普通に生活感のある空間。そこを抜けて階段を上る。

ボロボロだ…建付けの悪いドアをギギッと開けると、

「ここ、あんたの部屋。」いわゆるアパートメントホステルだった。

部屋広い。ベッドも大きい。

「洗面所もあるからね。ホットウォーターも出る。あとこれ、wifi

と言ってオーナーは戻っていった。

 

早速ベッドの南京虫探し…異常なし。

トイレ…流れる。

ネット…つながる。

シャワーは…時間かかりそうだから後回し。

突然決まった宿にしては上出来では…?

ぼろいのと、窓がない(通風孔みたいなレンガ二個分くらいの隙間はある。)

くらいしか不安要素はない。

ちょっとぬるめのシャワーを浴びて、その日は寝た。

 

起きたのはお昼も過ぎたころ。せっかくだし観光したいなぁということで

ネットでベトナム観光について調べていると、日本人経営のツアー会社が!

しかも徒歩圏内!でも当時、無知で内気だった僕

送迎も承りますの文字を見て、「迎えに来てくれませんか」とメールを打った。

すると「お近くですので、直接お越しください。スタッフ一同待ちしております!」

とのお返事をいただけた。そりゃそうだ!!笑

そしてオフィスに向かうため、はじめての外出。緊張したなぁ…

(めっちゃビビりですた。)徒歩数分だった。はずだった。

 

いくら探しても着かない。てんぱる。

恐る恐る道行く人に道を聞いてみた。

「ここ、どこ…?」住所とマップを見せて一緒に考えた。

そして周りを見渡すと、「あ、あそこだね。」と教えてくれた。

ちなみにこのころのお返し言葉は「Thank you, have a nice day!」だった。

 

早速お店に入ると、外国人だらけ。ベトナムの人ではなく欧州系の人たち。

「えーっと、○○さんいますか?」と問い合わせに対応してくれた人を探してみた。

名前を聞くと、何やら合点がいったようにスタッフさんが

「あなたは日本人ですか?」と聞いてくれてはい、と答えると

「お探しの場所はあっちですよ!」と教えてくれた。

元の通りのコンビニだと思っていた場所だった。

そんな彼にHave a nice dayやわ。

 

無事オフィスに着くと、スタッフさんが心配してくれてた。

ありがとうございました…笑

早速おすすめのツアーを聞いてみると、おすすめは

ダイヤモンドビーチというリゾートと、メコンデルタツアーとのこと。

なのでその二つをお願いした。ダイヤモンドビーチには今夜立つ。

ホーチミンに到着したその日だったけど。

なんでも深夜帯バスで12時間かかるそうだ。

 

お礼を言って宿に戻ろうとしたら、小雨が降ってきた。

「雨季なのでスコールに気をつけてくださいね!道路が川のようになります!

あ、あと排水溝からゴキブリが多量に出てきます。

…へ、へぇ…引き笑。

実際そのあとものすごい雨になったが、そのころにはベッドで寝てた。

 

ころ合いになり、バス乗り場(公園)へ。

そこには”走りそう”なネオンバンバンで音楽の掛かった、

いかついバスがたくさん止まっていた。

…ところでどうやってバス探せばいいんだ?

困ったときは人に聞けばいい。

 

そうして5人くらいに聞きまくった結果…

「あのバスだよ。」よかった、見つけた!!

車内は落ち着いていたから安心。

名簿で確認してもらって、靴を入れる袋と小さいボトル入りのお水をもらった。

このお水で12時間乗り切るんだ…!

 

12時間、車内では窮屈ではあったものの、足を延ばして眠ることができた。

時々体が宙を浮くほどの道路の陥没に

はまることもあったけど。

いいさいいさ、これも面白い経験だ。

 

この時は余裕だったんだ。そう、この時までは…

目的地まで二度寝を繰り返しながら12時間。水も残りわずか!!

腰とかかとが痛くなってきたところで

到着!!!

 

しかし、気温高いなぁ…海も近いからかむしむしする…

いつものスニーカーはやめて、サンダルで旅をしよう。

スニーカーは靴ひもを結んでバックパック(小)に括り付ける。

ブラン、ブランと歩くたび靴が僕のお尻を蹴飛ばした。

あぁ、自慢のプリケツが…

 

それとなく海辺のほうへ向かった。すると…

「HONDA、YAMAHASUBARU!!!」と声をかけてくるおじさんが!!!

やはり、日本車強いんだなぁ。ん―――・・・なんとなく嫌な予感が…

「どっから来たの?何しに来たの?」と質問攻め。

そして、「俺たちもう友達だナ!!」と肩を組もうとしてきたところで

「いや、知らんし。なんで俺を狙った!?」とすごい剣幕でまくし立てた。

だってね、手がポケットの周りをうろついてたから。

 

「うるせーーー!!!!」といっておっさんはどこかへ消えた。

 

 

 

…なんだか疲れたな。帰りたい。ついてすぐだけど。

そこでバス停で時間を調べると、昼間が真っ白だ。

夕方からしかないのか…?まさかね。

そこでバスのオフィスに行って尋ねると

「一番早くて夕方6時半だよ!!」だと…なるほどそういうことか…

 

10時間くらい待たなくては。

何したらいいんだー!!?

途方に暮れた。

 

そこで海を眺めることに。

2時間くらい。書いてて思う。なんてもったいないことを…

 

きれいな海、だったなぁ…。

…海パン持って来いよ。(宿に忘れた。)

この時、瞑想(迷走も)してた。

2時間ね。

一日目は後半へ

to be continued

 

【旅】弱小バックパッカーの奮闘記 vol. 18 世界一周の備忘録 フィリピン

 

前回の記事はこちらー!!

 

jackpacker.hatenablog.com

 

 

さてさて、前回のお話は恐怖にあおられておりましたが、

季節の変わり目で寒さと風(台風近い)にあおられている今日このころです。

 

今回のお話は、リクエストがあった

海外留学することについてちょっとお話します。

留学初心者向けのお話です。主に心構え的な話です…!

 

 

 

僕の母校(大学)は、海外に留学に行くチャンスの多い学校だったので周りにも

留学生や留学帰りの友達は多かったんですが、

なので、”留学に行くことは特別なこと”、という感覚は薄いかもしれません。

しかし、それがゆえに別に、「留学なんて行かなくてもよかった。」という

悲しい声も少なからず聴いていました。

 

乱暴な話、留学に”行くだけ”ならお金と時間を用意すれば、

誰でも行けるんですよね。

問題は、留学に行くことが決まった後です。

 

僕は長期間の留学はしたことはありませんが、

アメリフィリピンにそれぞれ1か月間の留学/研修をしていました。

どちらも英語を勉強することが大きな目的で、

どちらも少なくとも一日6時間は勉強、もしくはコミュニケーションで

英語に触れる機会を作っていました。

 

生活様式も違う環境で、話す言語も違う。

そのうえ一人で過ごさなくてはいけない場合もある…

 

ここだけ聞くとハードル高く聞こえるかもしれません。

 

でも、環境については次第に慣れていくもんです。

はじめは戸惑うこともありましたが、そういった新しいこと一つ一つが

新鮮で、毎日が刺激的が楽しいですよ!

 

留学では不安よりも先に、準備しておくべきものがあります。

それらがあれば留学先でも少なくとも、途方に暮れることはなくなると思います。

 

留学に事前に準備しておくべきなのは二種類の目的です。

一つは”ざっくりした目的”もうひとつは”明確な目的”です。

この二つの目的は、留学前の自分自身の覚悟を確かめたり、

留学先の予定を立てたりするのにも役立ちます。

 

ざっくりとした目的!とは

例えば…

・海外生活を体験したい。

・勉強・研究がしたい。

・憧れの場所に行ってみたい!

 

ざっくりした目的は思い付きであったり、パンフレットの受け売りのような

感じになってしまうかもしれません。それでも大丈夫!!

入り口は、ざっくりした感じでいいんです!

逆に、いろんな入り口をたくさん見つけておくこと

強く、強くお勧めします!

日ごろからどんな小さなことに持っ興味を持つようにしてみてください。

 

では次に…

 

明確な目的!

例えば…

・海外生活を体験したい。→買い物のやり方や、国際免許を持って運転をマスター!

・勉強・研究がしたい。→やりたい学問の権威がいるので、研究を一緒にする!

・憧れの場所に行ってみたい!→イギリスのポーツマスの港の見えるカフェに行く!

 

どうでしょう?右のような目標があったほうがわくわくしませんか?!

このように、目的をはっきりさせていくことで、行先を絞れたり、勉強にしても

モチベーションにつながります。それに、動機として説得力もありますよね!

これらのような明確な目的も、達成したら”次の目標”

をどうするか決めて行動すると、より留学が充実します。

つまり好奇心は全開に、目標を絶やすなって話です!

 

僕の周りには目的がなくって/なくなって、留学を続けるのが辛くなった。

となってしまった友人が何人もいました…。

彼らの多くはとにかく”留学に行くこと”自体が目標になっていたんですよね。

 

ある友達は、留学してしばらくたつと、

 

なんで留学に来たんだろう?

授業についていけない…

レポートやテスト、追いつかないよ…

何をしたらいいかわからない

なんで留学に来たんだろう?

・・・

 

という負のスパイラルに陥ったようです。

留学する動機も、就職に有利だとか、箔が付くから行ったとのこと。

確かにそれは事実だと思います。

就活では目を引くでしょう。かっこよくも見えます。

しかしその友達に留学当時の話を聞いても、後悔したことや失敗話ばかりで、

どう成長できたか、どう乗り切ったかという話は少なかったです。

それだけつらかったんでしょう…

 

少しでも留学先で(授業以外のことでも、もちろんいい)好奇心を発揮したり、

新しいことに”自分から”チャレンジしていたら

彼の留学先でのエピソードが浅い話になることはなかったと思います。

逆に留学先でも目的や目標がある人の話は、面白いエピソードが多いですよ!!

挫折や失敗、ピンチが多い分、乗り切った話も多いわけです。

七転び八起き!!!

 

さてさて、僕はというと…

フィリピン留学開始時のスコアはいわゆる中の下

一日6時間、勉強や英語でコミュニケーションした結果、

フィリピンでのスコアは2段階飛び級して中の上に!

しかも点数をよく見ると、あと一点で三段階飛び級だったのだ…!

 

それだけでなく、フィリピンでの留学を通して、

普段関わることのなかった学部の違う他大学の人や、社会人の方や

韓国人などと関われたこと、フィリピンという国の現状が知れたこと、

そのほか、行ったことのない国や社会など、いろんなことに興味が持てたこと…

 

はじめに持っていた”英語を勉強する”という目的だけでなく、

”友達を毎週10人は作る”や、

”屋台飯を食う”や、

”地元民にインタビュー”

などなどなど…!!!

 

毎日少しずつ増えていった大小さまざまな目標たちも、たくさん達成していて、

 

例); 

”友達作りを頑張った結果、自分は男にめっちゃモテることもわかった。

友達になったおかげで彼ら?の考え方や偏見の辛さも知ることもできた。

男らしさはモテるってよ。”

 

”屋台飯はくじ引き。おいしいし、安いけど、たまにトイレと汚友達。

腹痛は、水たくさん飲んで出せばたいてい何とかなる。しかもかなり痩せる。

一週間食事が水だけの時もあったが、生きてる!生きていける!人は強い。”

 

”地元民に声をかけるのは大変だった。距離感とかわからんかったし。

でも数こなしたり、会話に入っていくうちに自然なやり取りができるようになった。

教科書やネットではわからない知りたいことや、興味深い情報が知れた。”

 

etc... 

 

勉強以外もたくさん得られたことがあったのは

今でもかなり大きい収穫です。

 

 

 

 

目標なんて、いくつ持ってってもいいじゃない。

夢なんて、バカみたいに大きくたっていいじゃない。

それをかなえるためにどうしたらいいか。

そのつぎは…?

足踏みする時間は、もったいないで!

 

思いついたら力の限り、好奇心の向くまま動くんだ!

 

 

 

そしてフィリピン最終日。

行きは空港で一人空港泊してたけど…

最後の瞬間は学校中のみんながお見送りしてくれました。

兄さん姉さん、みんなお元気で!

 

僕は、僕の旅を続けます。

 

 

to be continued

留学について、またそのほかのお悩み、

相談事などあれば気軽にコメントしてください

感想なんかもいただけたらうれしいです。

【旅】弱小バックパッカーの奮闘記 世界一周の備忘録 vol. 17 フィリピン

 

前回の記事はこちらー!!

 

 

jackpacker.hatenablog.com

 

今回は…

本当にあった怖い話。

だよ。

 

 

師匠との出会いも衝撃的だったけど、ある出会いもインパクトでかかった。

 

週末になると酒場に繰り出す学校の人たち。フィリピン人スタッフも一緒に。

この学校ではみんながあっという間に仲良くなれる。

みんなは家族というより、兄弟姉妹みたいな。

めちゃくちゃアットホームな環境。

 

その中であるフィリピン人スタッフA君と仲良くなった。

確か、僕より3つ若かったから当時16歳の青年。

僕らの洗濯ものや清掃などしてくれていた。

前々から仲は良かったけど、改めて仲良くなれた。

 

身の上話や、家庭料理の話で盛り上がる。

バナナを春巻きの皮で包み、揚げたTuronや、オムレツをつまみながら。

ノリでお酒も入ってきた。

熱いフィリピンでは飲みやすいアルコールが多い。

ビールもアルコール弱めだし、リンゴ味のものもある!!

たまにぬるいけど、それでもいい。

この時初めてラムの味を知ってしまった。

 

まだお酒の加減も知らなかったし、ジュースみたく飲んでしまった。

ラムコーク、う、うめぇ…!!でも、にゃんだか、眠くぅ…

あ、この曲知ってるぞ!!歌うぞ―――!!!

近くの人と肩を組み歌う。ふらふらオラオラ。

と、嫌なテンションになってた。らしい。

 

次の日も朝が早いので、早めに寝なさいな、と兄さん姉さんから言われたので

よいしょと腰を上げると、ふらふららーー・・・。

見かねた人たちがフィリピン人スタッフにエスコートを頼んでくれた。

(すいません、ありがとうございました。)

 

エスコートには、A君と調理担当のありえんほどでかい巨漢

二人に手を引かれて寮に戻る。

歩けるには歩けるけども、危なっかしい足取りで道路を渡る。

A君の先導で無事にわたりきった。

ちょっと門の前で待機。

巨漢の手がむっちり・冷たい。イメージ、蛇だな。あの感覚は。

その手がなんか、手から体のほうに這うようにして移動してきた…

 

う、うわぁぁぁぁぁ…。とも声は出ないし、『漢 × 漢』の関係?

が当時の僕には遠いもののように感じていたので困惑していると

A君が気が付いて、盾になってくれた。

そのあと、巨漢が「じゃ、じゃあ、明日の仕込みがあるから…」と調理室に消えた。

A君、巨漢を退治。かっけぇ。

 

そのあと、僕の部屋が上階だったこともあり、部屋の前まで連れて行ってくれた。

様子をうかがいながら、気を付けて!と一声かけてくれ、その日は別れた。

酔いを醒ます意味でも、シャワーを浴びた。

頭がさえていった。

 

シャワーから出るとベランダに面していて、

腰の高さくらいの棚にバスケットボールが転がっているのが見えた。

あ、このまま下(ベランダの外)に落ちたら危ないから部屋に置いておこう。

そう思って下着だけつけてボールのほうへ向かうと

コロコロ…コロッ

 

お、落ちた―――!!!

全力疾走して慌てて確認したけど、

ボールがない。

そして、耳を澄ましてみた。

階段のほうに落ちたのかも…

 

それらしい音もしない。

代わりに

タッタッタッタッタ…

というえた。駆けていくような音が聞こえた…。

 

酔いもあったし、なんだかつかれた。

寝よう。

 

次の日、いろんな人たちから「”ちゃんと”帰れた?」

と聞かれたので、「はい、無事帰れました!」と返すと

すこし意外そうな顔をされた気がした。

そして、

「おはよう、JACK!もう大丈夫かい?」

昨日のA君だ。

昨日のお礼を言うと、「なんかあったら言ってね!」

と返してくれた。本当に頼りになる。

「じゃ、またあとで!」

 

授業が終わると僕は日が暮れるまでバハイクボ(フィリピンの高床小屋)で

宿題やら予習するのが日課だった。

その日も相変わらず勉強していると、A君が誰かから教わったであろう日本語で

「オツカレェィ」とあいさつしてくれた。rの発音ちょいと癖は強かったけど。

そういう感じで、友達としての絡みが増えた。

 

一方、巨漢のほうは会うと伏見がち。

しょぼんと大鍋をまぜてた。

 

その日から毎日A君は僕のバハイクボに顔を出すようになった。

話す話題といえば、「彼女いるの?」とか「趣味は?」とか

そんな感じだ。

しかしある日、「ねぇ、なんでそんな優しいの?笑」

と聞いてきたので、「知らん、これが僕の性格だし。」と答えると

「ふぅん…。…ねぇ、なんでそんな優しいの?笑

なぜA君は2回同じ質問をする…!?

改めて同じ返しをした。すると今度は肩に手をまわしてきてこう呟いた。

「…ねぇ、なんでそんな優しいの?」

 

いや、こえーわ。もうキスしそうな距離じゃん。

え、なにこれ。これがフィリピンでは普通なん?

混乱しながら、「ごめん、宿題があるから。」と言って追い払った。

そのあとなんて、宿題どこじゃないよ。

 

そのことを同期に話すと

いや、知ってたんだけど、A君JACKのこと狙ってるよ。

 

知ってたんかいっ!!!やられた

 

はい、そういうことでした。灯台下暗し。

僕はストレートだし、当時付き合っていた彼女もいた。

てか、その子に会うためにも旅をした節があったのに…笑

モテキ来た?…いや、いらんわ!!!笑

A君ごめんよ、僕は友達以外の何物でもない。

でも次の日からあっけらかんとするのも違うので、普通に接することに。

友達だし、恩人だしね。

 

次の日、相変わらずの調子で話していると、A君。

「この花知ってる?花言葉”純粋”なんだ。」

白い小さな花を見せて彼は仕事に行った。

うーーーーん?? 

 

その日僕は宿題が多く出されたのでいつもより長めにバハイクボで

勉強していると、太ももに何かが触れた。

足元を見てみると白い花束が。

小屋の天井の飾りでも落ちたかな…?

上を見る。いや、そんなものはない。

風か…?左右見回す。外はもうすっかり暗くなってしまった。

でも、その”花”の木は見当たらない。

 

あぁ、考えたくねぇなぁ…

そうだ、きっと誰かのいたずらだ!

そう思って、恐る恐る後ろに首を向け暗闇をのぞき込む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いた。

 

 

A君が体をかがめて、暗がりに身を潜めていた。

呼吸のリズムで体が軽く浮き沈みする。

 

逃走中、開始します。

その晩は一晩中逃げ回った。

ホラゲだよ、ホラゲ。

 

そのあとから軽度の付きまといはあったものの、卒業まで実被害はなかった。

防衛成功。

…ん?まてよ?洗濯係…?んーーー…???

(考えない。)

 

卒業後、Facebookを見ていたら、A君の投稿に気になるものがあった。

僕の写真だ。彼の撮ったものではなく、僕のページから”盗った”ものだった。

キャプションにはカラフルなハートマーク。

OH my…

 

ここまで書いているが、LGBTの人たちに嫌悪感はない。

なぜ、ここまで書いたかというと、A君が若干ストーカー気味だったからだ。

実際に僕の友達にもLGBTの友達はいるし、大変な思いをしていることも

知っている。LGBTは、立派な個性だと考えている。

 

どんな愛も、加減が重要。

to be continued

【旅】弱小バックパッカーの奮闘記 世界一周の備忘録 vol. 16 フィリピン

 

前回の記事はこちら~!!!(バジャウ族

 

jackpacker.hatenablog.com

 

 

お話の続きはこちらから!!!(ストリートチルドレン

 

jackpacker.hatenablog.com

 

ストリートチルドレンに襲われた次の日から、

あれほど悪かった体調も気にならなくなっていた。

超強烈な体験。

 

授業もちゃんと真剣に受けているが、頭の中はあの子たちのことでいっぱいだった。

そのことをいろんな人に話したと思う。

そんな中、一人が「Live the moment やなぁ。

こう言った。その瞬間を生きろ。

 

その子たちは生きているその瞬間瞬間を必死で生きてる。

だからこそ、僕たちも今生きている瞬間を大事に生きていかなければいけないよね。

そういう意味だった。この言葉は、僕の中でとても響いた。

 

この言葉をくれたのは、いつかの仙人、そしてすでに世界中を旅したPさん。

彼との出会いはフィリピンの思い出の中で一番刺激的だった。

今では、僕の旅や人生の師だ。

 

ぼくらは

旅させてもらってる。

学ばしてもらってる。

そして、生かしてもらってる。

よくよく考えたら、それらは自分で選んだうえでの道だった。

 

当時、当たり前のように思えてきたそんな感情は、

実は特別なことで、普通は普通じゃない。

そう改めて気づかされた。

 

村から出たことのない子供たち。

学校がどんな所かも知らない女の子。

自分だけお金がなくて取り残された男の子。

誰も好き好んでこんな生き方をするわけがない。

 

でも僕たちには、どんな道でも選べる自由がある。

 

だからこそ、僕たちも今生きている瞬間を大事に生きていかなければいけないね。

 

 

 

人は平等じゃない。

格差や生まれの違い、どうしても乗り越えずらい困難がある人もいる。

平等じゃないからこそみんな違って、

でもその困難は、乗り越えた先に見えるものもあるし、痛みもわかるはず。

みんないいんだよ。

違うことは、悪いことじゃない。人は何が豊かかで決まる。

 

これからも困難を乗り越えるお手伝い、できたらいいな。

 

 

 

*******

 

 

 

 さてさて、言葉以外にもいろんな影響を与えてくれた。

 髪型しかり、話し方しかり。

何でも真似して、旅の計画や渡航先なんかも鵜呑みにしていた。

そんなある時、「Jackの”形”ってどんなん?」と聞かれた。

「Pさんのようになりたいです!」と答えると、

「うーん、うれしいんやけど、JACKのオリジナルを知りたいなぁ。」

こう返された。

 

なるほど!

やっぱ、僕自身も僕の分身を作りたくはないし、

分身にいてほしくない。

それより、オリジナリティ / 個性を大切にしていたほうが、人間面白い!

テンプレートバリバリのお話とか、ありふれたお店でもそうじゃん。

自分が体験しなかったことが聞きたい!

代り映えしないことは飽きちゃう。

つまり変えはいくらでも、ってことかな。

 

今でこそ、オリジナリティ(ある意味自分本位の考え方?)で生きているけど、

この時から、ようやく僕は僕自身の旅路を定めていった。

復学した後の大学ではオリジナリティ強すぎて一時、孤独になったのも

今にしてみればいい思い出!!!(ということにしておいて!)

…あれ、絶対主張しすぎたせい。笑

 

 

尊敬と崇拝は違う。

 

自分自身が誇れるようになるまで、道のりはまだまだ長い…。

※やってきたこと(旅)には胸を張るけどね!

自分らしく行こう

to be continued...

 

【旅】弱小バックパッカーの奮闘記 世界一周の備忘録 vol. 15 フィリピン番外編

 

前回の記事はこちらー!!

 

 前回は、海外の蚊には気を付けようの巻。

jackpacker.hatenablog.com

 

今回も長め。あと、まとまりなんてものはない。すいません!

 

さてさて、今回は前回の続き。

デング熱にかかるに何をしていたのか?についてお話していきたいと思います!

 

僕は今回10日間ほどフィリピン、セブ島にいました。

いいだろー。

しかも今回はいつものような旅ではなくて、アートプロジェクトに参加!

 

「アートで貧困問題を解決したい。」

そんな思いで活動している”がっぽい”という

大阪に拠点を置く団体の活動に参加しました。

今回で2度目の参加。

前回はネパールのチトワンにあるタルー族の村にお邪魔し、

彼らのおうちに絵を描かせていただきました。

 

 

 

興味のある方は ”がっぽい アート” で検索!!

 

そして今回はセブ島バジャウ族のおうちに。

バジャウ族とは、インドネシアやマレーシア、そしてフィリピン付近の海域で

海の上で生活している人たちのこと。

海の遊牧民とも呼ばれ、漁などで生計を立て、

まさにその生活は海とともにあった。

 

そんな彼らが暮らす集落の中に、一人の日本人がいます。

松田大夢くん。今回の活動のサポートやバジャウ族を理解するための

アクティビティのほか、数えきれないほどのサポートをしてくれました。

 

大夢君について書くときっとブログ一つ分じゃ足りないので、検索してみて!

バジャウ族で検索すればヒットするほど!

 

 

 

バジャウ族についてはさっき「海の上で生活している」と書きましたが、

今でも海の上に家を立てて暮らしています。

海の家に建てていると、土地代や家賃が掛からないのだそう。

 

しかし、海からやってきたゴミが、彼らの村に流れ着く…。

だから、彼らの住む場所には常に悪臭が立ち込めている。

フィリピンの熱気が腐敗臭を、そしてゴミが、再び流れのない死んだ海を作る。

この循環が様々な悪影響を与えるのは、言うまでもない。

病気やケガの原因になるし、生態系も壊れるし、彼らの生活も変わる。

挙げだしたらキリがない。

 

大夢君曰く、「ここもかつては透明なきれいな海だったけど、埋立地ができてゴミがたまるようになった。

今ではすっかり様変わりした海を、彼らはどう思っているんだろう?

第二の家のような存在である海が汚れてしまってしまったが、

それでも彼らは海という”故郷”と深く結びついている。

 

皮肉なことに、埋め立てをしたのは日本だそう。

ODA。政府開発援助。

その埋め立て地に立っているのは、セブ最大級のショッピングモールだ。

地元の雇用を増やすことで、経済格差を埋めてゆく。そういう狙いがあるのだろう。

実際に、バジャウ族の人も何人か働いている人もいるらしい。

でもそのせいで、海は汚れてしまった。

この開発でバジャウの人々が得たものは一体、何だったんだろう…?

 

それでなくても大変な生活をしてきた。政府によって無理やり”陸地”に追いやられ、

”お金が必要な生活”が格差も生んだ。そして、埋め立てだ。

かつては自由だった暮らしが変わっていった。

文化が変われば人の生活は変わらざるを得ない。

そしてその変化は、心や、考え方すらも変えていく。

 

バジャウの人たちの中には、ほかのフィリピン人のように就職する人もいるそうだが、

現状まだまだな状況だ。漁で暮らす人、アクセサリーを売る人、

物乞いに行く人だっている。

ビニール袋(日本でいうスーパーの野菜を詰めたりするあれ)に詰める1ペソの水。

タンクから給水するタイプで、衛生面でリスクもある。(普通に飲めるけど)

ミネラルウォーターの500mlペットボトルが一本日本円でだいたい30円~40円。

これすら買えない。

「ペットボトルウォーター、いいなぁ。くれない?」と

バジャウ族が冗談交じりで言ってきたこともあった。

そこで、彼らが頼らざるを得なくなるのが1ペソウォーター。

多くの水を買うことができないから、安い水をたくさん買わなくてはいけない。

おなかを壊したり、病気になる確率も増していく。

結果として出費も多くなり、格差はどんどん、どんどん大きくなっていく。

 

失われつつある、かつてのバジャウの文化。

そして、ひろがる貧困問題。

この二つの問題がいい方向へ向く方法はないものか…

 

 

 

 

 

*******

 

 

 

 

 

 僕らの行ってきたアート活動に絞ってお話します。

 これが彼らの役に立つように、そう願って僕らは絵を描いた。

 

はじめは、プライマーと呼ばれる白い下地を塗る。

面白がって子供たちも手伝ってくれたから、その日の作業はあっという間に終了。

でも、次の日から「うちはやめてくれ」という声が相次いだ。

白色だけで終わると勘違いしたらしい。説明をして床や壁に色を塗った。

…はいいものの、村の人たちがペンキの床を踏んでしまったり、

壁を触ってしまったりして、色がぐちゃぐちゃになってしまった。

 

何日かかけて、何とか壁だけ塗り終えた。

その次の日「もう満足したから、絵はいいよ。」という声が。

確かに、木の色一色の風景よりカラフルになった。

でも、どこか中途半端だった。

前回ネパールに参加したメンバーは、絵を描くことで

もっといいものが作れることを知っている。

だから写真を見せたりして、何度も説明した。

でもこのことは、何度説明しても言葉では伝えられなかった。

 

百聞は一見に如かず。

そこで、許可をもらった場所に絵を描き始めた。

まだまだ反対する人もいたので、

大夢君のお宅でサンプルとして階段や扉、ベニヤ板に作業させてもらった。

絵を見せると、大正解!!!

絵を描いてもいいよ、と言ってくれる家が出てきた

 

そして、しまいには…

絵を描いていたら

「Jack、俺ん家にも描いてくれよ!」

「私の家にも!!」「手伝うから描いて!!」そんなお言葉を毎日いただけた。

もちろん僕だけでなく、ほかの参加者も同じくだ!

 

僕ら、そして村の人たちがいつの間にか一つになってた。

 

 この勢いで何とかペースがつかめた!

村の人たちの手伝い方もいつもと違っていた。

率先して、とかそんな感じじゃなく、僕らも村民のように扱ってくれた。

名前を覚えて挨拶してくれるし、果物や水、お酒も(!)分けてくれた。

何か困ったことがあれば一緒に考えてくれたし、解決するために一緒になって

助けてくれた。

 

そんな彼らに報いるためにも、

僕らもできる限りのことをした。

お互いが歩み寄った、

まさに理想的な環境で作業ができた。

 

作業中は集中しすぎて、ほとんど手元しか見てなかった僕が、

村での最後の瞬間に見渡した風景。

 

 

 

思わず涙出たよ。こらえられなかった。

 

ペンキの量も、日数も限られている中で、

できることはできるだけした。

そして、迎え入れてくれたバジャウ族のひとたちも笑顔だ

今回お願いはされたけど、

描けなかった人には申し訳ない。

でも、だからこそ。

僕たちはその果たせなかった約束のためにいつか必ず戻るんだ。

 

バジャウツアーのお話や、濃すぎる体験もまだまだいっぱいあるけど、今回はここまで!

 

to be continued

【旅】弱小バックパッカーの奮闘記 世界一周の備忘録 vol. 14 フィリピン番外編

 

前回の記事はこちらー!!

 

 

jackpacker.hatenablog.com

 

 

一か月振りの更新です

お久しぶりになってしまいました…!!

すいません…

 

実は、更新を空けている間に今ブログでも取り上げている国、

フィリピンに行ってきました。

その時のくわしい話はまた別の回に~。

 

さて、今回の話題は、

死にかけた話と衝撃の事実。』※今回長いよ

 

 

 

急に一体どうしたんだい、というと、

僕、今回の旅でデング熱にかかっちゃったんですね。

 

デング熱とは、病原菌を持った蚊を媒介とした感染症

具体的な治療やワクチンはなく、病院にもいかず放置していれば

死ぬ可能性もある(とはいっても1%ほどらしい)病気。

 

この病気の厄介なところは2回目から重症にな『デング出血熱』

になる可能性がかなり高くなる。出血熱だって。痛そう。

このデング出血熱、血管から出血するため、致死率も15%ほどになるのだとか。

 

今回はデング出血熱ではなかったでしたが(入院中に鼻血出たときはマジで怖かった。)、次からはかなり気を付けないといけない…

 

 

 

~では、今回僕がなったデング熱の症状を見ていきましょう!~笑

 

フィリピンでの日程を終えて、達成感に浸りながらホテルのベッドに寝転んだ。

友達はほとんど出払ってしまったから静かだ

明日の帰国便は朝7時。少なくとも4時には出ないといけない。

他の3人と帰国便は一緒だから、遅れられない。

 

さっきからなんだか体が重いし、少し熱っぽい。

明日の朝も早いし、早く休まないと…

そんな時、携帯を見ると、「Jackさん、体調悪いんで部屋行っていいですか?」

というメッセージが届いていた。

 

送り主はその日のお昼に体調不良で倒れた友達だった。

一時は体調は回復したと思ってたのに…

本人が一番びっくりしてたと思う。

 

もちろん部屋に通すと、想像以上に辛そうでいきなりベッドに倒れ込んで

「すいません、頭痛薬とか持ってないです?」といった。

あいにく持っていなかったため、水分だけ分けて眠ることにした。

 

しかし、5分もしないうちに

「やべ、吐きそう…!」と聞こえたのですぐに対応した。

結局、なんとか持ちこたえたがみるみる顔色が変わっていった。

このままじゃ僕一人では無理だ…!

そう思って、同じ便の友達を呼んで追加の飲み物なんかを買ってきてもらった。

 

このころには僕も寒気とけだるさが増していた。

そのことを呼んだ友達に伝えると、

「僕、彼のこと見とくんで休んでてください!」と言ってくれた。

そこから、彼は二人の病人を夜通し看病することになった。

眠たいし疲れているだろうに、真夜中に飲み物を取ってくれたり

本当にありがとう。

 

そして…

「Jackさん、時間です!行けそうですか…?」

荷物はみんなまとめているので、すぐに出られる。

たった8キロのバックパックがやけに重たく、足取りも重い。

他のメンバーにも心配されながらお別れ。

さみしさは後から来た。それより体調が悪かったんだ。

 

まだまだ暗い中、タクシーで空港まで1時間。2人ずつ2台で。

 

このとき初めて海外のタクシーで寝た。普段なら絶対にしない。

空港に着く直前で起こされて、目を覚ますとさらに体調が悪い。

タクシーから降りるのも、どこかぎこちなく。

さらに自分の装備ももはや身に着ける気力がない。

てか、普通に立ってられない。ひざは笑うし、平衡感覚もおかしい。

気温はふつうに暑いんだけど、さむい。

 

フィリピンの空港には入り口にもセキュリティがあるんやけど、

”パスポートをポケットから出す”ことすら大変だった。

そして、もう一人の体調の悪い友達もかなりきつそうだった。

なんとかチェックインの列まで行くと僕はバッグを下敷きに座り込んだ。

列が進むたびにゆっくりバッグを引きずって、ようやく番が来た。

 

荷物は関空までピックアップなし。ラッキー!

そのあとの待ち時間は固いベンチで寝た。時間になると起こしてもらって、

持ち物検査。引っかかった。原因はライター。有名な銃の詐欺じゃなくてよかった。

それを見つけるのにまごまごしてたら検査官にキレられた。

そんなことより、わしは体調悪いんじゃい!!ってスルー。

 

みんなを待たせて合流。再びベンチで寝て、フライトでももちろん寝た。

この時不思議なほど腹減ってなかったな。

乗り換えのマニラの記憶はほとんどない。

なんとなく覚えているのは、

たまたま友達が1人合流した。(この友達がマジで神対応で、後々めっちゃ頼りに。)

このころ体調の悪かった友達は回復してた。よかった

 

そして関空にようやく着いた。よく寝たので頭は妙に冴えてる。

時刻は21時くらいだったかな…?地元(三重)に帰るか宿に泊まるか…

そんなこと迷っていたら、「おにいさん。」と検疫で止められた。

サーモが真っ赤っ赤だったらしい。

すぐに診察所に通され、(合流した友達もついてきてくれた。)熱を測ると、

40.9度だった。あ、すごい。シンキロク ダ。

のんきにそう思っていると採血で、「…デング熱かもしれません。」と言われた。

そのまま緊急搬送。車いすも救急車も初めてだ。

さぁ、これからICUに直行だ!

 

その裏ではついてきてくれた友達が荷物を運んでくれたり、連絡を取ってくれたり、

本当に助けられた。

この状況で、いつも見たく一人旅だったら死んでいたかもしれない。

そう思うとぞっとした。

 

ちなみにそのあとの検査もぞっとする。

採血はその日から毎日あったし、左腕には点滴がずっと刺さってて、腰から髄液を取って検査したり(針が刺さっているので寝返りが打てないうえに、変な感覚と独特の痛みがある)、極めつけは、トイレができないから(なぜか出ない)管を突っ込んで…

 

次の日?か、その次の日に家族が来てくれた。はるばる三重と神奈川から…

ちなみに、例の友達は深夜2時まで待っていてくれたそう。

支えられて生きてます。ありがとうが止まらん…!

 

そして、家族を含めて状況を教えてもらった。

今後しばらくは蚊に刺されたら感染源になるかもしれないので

隔離、ということだった。

そのあと出された入院食、丸1日以上何も口にしていないので

本当においしくいただいた。

 

そのあとICUから一般病棟に移された。

それでも熱は出っ放しで、38度なら「少し下がった!」と喜んだほど。

最高記録は41.2度。あ、また記録更新だ。

 

入院生活ではほとんど不自由なく(とはいっても寝て、トイレ行くだけだけど。)

生活できた。海や空港を望めるいい部屋。優しく丁寧な対応をしてくださったスタッフの皆さん。おかげでゆっくり休養することができた。

 

ただ悩ましいのは、寝るとき。

熱のせいか、菌のせいか、幻覚を見るようになった。

 

そのせいで眠れない。

 

フィリピンにいるはずの友達が見えたり、海の生き物たち(?)がいたり、

煙が尾を引いて漂っていたり…。

何を言っているかわからないかもしれないが、本当にそう見えた。

 

緊急搬送の日から三週間ほどまともに眠れなかった。

そのおかげで生活リズムを取り戻すのに今も苦労している。

 

デング熱め…

海外行く人は、特に東南アジアやインドに行かれる方は気を付けて!

対策として、 DEET(ディート) という成分の入った虫よけが有効だそう。

それでも心配な人は長袖長ズボン!!

 

さて、入院しているときに衝撃的な事実が伝えられた。

検査の一環で、おなかのレントゲンを撮っていると…

「あれっ…?」と担当者さんがつぶやいた。

そしてもう一度撮ると、

「JACKさん、むかし摘出手術とかしました?」

と聞いてくるので、「いいえ」と答えると

「JACKさん、なんか腎臓が見当たらないんです。

 

ってことで検査でエコーを取ることに。

「やはり、1コ見つかりませんね…腎臓が一つの可能性があります。

言葉の意味は分かる。

ただこの時実感は全くない。

だから半笑いで、「あ、そうすか」って答えた。

担当医さんがものすごく難しい表情してた。

 

2週間後、退院してから地元の大きな病院でCTを取ることになった。

あのドーナツの中に入るのも、もっともっと年を取ってからだと思ったよ…。

 

 

 

 

 

結果発表ーーー!

 

 

 

 

「あなたは腎臓が一つありません。

おそらく先天性でしょう。」 

 

 ド―――ン

 

「しかも今回、結石が見つかりました。

何か異常が出たり詰まれば即、透析です。」

 

 ズドーーーーーーーーン

 

すぐ死ぬ。とか、そんなんじゃないけどいろいろ大変。

食事でたんぱく質、糖類、脂質、リン、カフェイン、

そして塩分をあまりとってはいけない。

 

例えば…ハンバーガー、寿司、ラーメン、バナナ、コーヒー、お茶

 

全部好物。

コーヒーに関しては毎朝飲むし、豆からひくほど好き。

おまけに、たばこもダメときた…

一言でいうなれば生き地獄。

 

唯一気兼ねなく食べられる好物といえば、キノコくらいだ。野菜も好きだし。

料理は割とするほうなので自分では管理できるが、友達や家族と食事するとき

気を使わせてしまうのも申し訳ないや…。

 

なんか、振り返ると23歳にしてはえらく濃い人生やなぁ…

太く短く、ってこと?なんて柄にもなく…

 

でも、このタイミングで知れてよかった。

どうにかなった後では、何もできんからね。

それに、前々から気になってた、ベジタリアンみたいな生活ができるわけだ!

 

 

 

 あれ、てかこのブログってジャンル旅やんな?

闘病記みたいになってしまった!!!すいません!笑

次回からは旅のお話に戻ります!!

 

 

 

さいごに。

読者のあなたにお願いがあります。

自分の体、もっと大切にしてあげてください!

健康第一!!

 ・

to be continued

【旅】弱小バックパッカーの奮闘記 世界一周の備忘録 vol. 13フィリピン

 

前回の記事はこちらー!!

 

jackpacker.hatenablog.com

 

 

かくかくしかじか…

ストリートチルドレンに襲われた次に日のマンツーマン授業で

早速先生に出来事を話してみた。

すると先生は、真剣に話を聞いてくれた。

 

現地の人の間でも、深刻な問題のようだった。

そこでも、やはり同じ疑問を問いかけてみた。

「ぼくはお金を渡すべきだったんだろうか?」

 

先生は考え込んでいたけど、

「どちらでもよかったのかもしれない。」

こう答えた。

 

「Jackがお金を渡さなかったことで、彼らはほかにお金を稼ぐ方法を考えるきっかけを得たし、何より犯罪に手を染めずに済んだ。逆に、お金を渡していたら、そのお金でご飯なんかを買って生きながらえていたかもしれない。」

 

そしてつづけて

もちろん、いいことだけが起こるとも限らないよ。それはもちろんだ。彼らのチョイスがあり、そしてたまたま居合わせたJackのチョイスと一致しなかっただけ。ただそれだけだよ。」

と言ってくれた。

 

もし興味があったら話してみるといいよ。と知り合いの元ストリートチルドレンの方を紹介してもらい、直接お話をする機会を得ることができた。

 

*ここではプライバシーのため名前や詳しい年齢は伏せておく。

 

そこで語られた事実は、あまりに衝撃的だった。

下に教えてくれた話を書いていく。

 

 

 

インドなんかにはカーストっていう制度があるだろ?

身分が決まっているってやつ。実は、フィリピンにもあるんだ。

もちろん、大々的ではないけれど、隠れた文化みたいなもんさ。」

 

わかりやすい例を言おうか?

金持ちの子は金持ち。屋台商の子は屋台屋。

そして…、ホームレスの子は…わかるだろ?

 

そういうことさ。ここじゃ、生まれ持った身分を超えることは

生半可なことじゃないんだ。それどころか、低い身分の者は、

生きることすら難しい。」

 

銃やドラッグは簡単に手に入っても、

まともな飯や信頼できる仲間は簡単には手に入らない。

君も道端で子供がペットボトル

抱えているのを見たことがあるだろう?」

 

ありゃ、ドラッグだ。○○(有名なスポーツブランド)とかの工場にある

靴と底を固定するボンドをいぶしてガス吸ってる。

どうやって手に入れてるかって?

Mafさ。マフィアが子供たちやその親が得た金を奪う代わりにドラッグをやるんだ。

彼らにとって、それはな、報酬なんだよ。」

 

銃なんかの武器だって、

自分たちの身を護るためのものだ。

その”道具”もマフィアから買ってる。」

 

抵抗なんてできないことは、彼らが一番知っている。

彼らの親もそうさ。そうやって生き延びてきたんだ。

だから、自分の子供にそうしてくれてやることにだって、何の抵抗もないぞ。罪悪感もないさ。

彼らにとってそれが当たり前のことだったんだから。」

 

「俺は、やつら(マフィアの下、ギャング)と付き合った。

特別考えがあったとか、そんなんじゃない。

ただ、俺は自分で何か決めたかったんだ。

周りの人間はfollowするだけの人生だった。

 

”仕事”をしていく中でだんだん、自分の見ていた

世界の狭さに気が付いた。もっともっと広い世界がある。

見えてくると、やりたいこともできてくるんだよな」

 

「そこからしばらく金をため、

信頼できそうな人と繋がった。

もちろん失敗も多かったけど。」

 

「ありがたいことに、多くの人に支えられて、

俺は学校に行き卒業できた。そして、就職することもできて

安全に幸せに暮らしている。

 

あの環境の中で、目標を見いだせて頑張れたのは

すごいことだし、人に支えられたのはまさに奇跡だった。

俺は、ラッキーだったよ。

 

「あんな環境じゃ、子供は夢なんか見られない。

昨日遊んだ友達が、守ってくれたが、そして自分が、

明日にはいないかもしれない。

そんな毎日だ。」

 

が、すぐにある。正義すら、信じられない。

俺が子供のころに過ごした環境は、そんな所だったよ。」

 

 「学校や施設にいけない子供もいる。

Jobしなきゃ、金がねぇ。働いてりゃ、時間がねぇ。

他にも理由はある。」

 

「幼いころからおまわりに追われて生きてきた。

当然捕まるやつもいる。

牢屋に押し込められてりゃ、怖い思いもする。」

 

教室も牢屋も、その押し込められる場所だと思っているんだ。

親から離れるのを嫌う子供もいる。

だから、学校にいけないんだ。」

 

「学校がねぇからじゃ、ねぇんだよ。

施設がねぇからじゃ、ねぇんだよ。

それでも、空っぽな”箱”だけはどんどん増えていく。

誇らしげに。」

 

「そんな金の、力のかけ方は無駄だ。

少なくとも今は、根本的な解決にはなっていない。」

 

 

 

「そこで、だ。君ならどうする…?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この問いかけに、僕は今でも応えられていない。

to be continued