jackpackerの日記

旅するアーティスト、Jackやで。バックパッカーの土産話、聞いてく?

【旅】弱小バックパッカーの奮闘記 世界一周の備忘録 vol. 12フィリピン

 

前回の記事はこちらー!!

 

jackpacker.hatenablog.com

 

 今回はボリューム多め!

 

 ぐるぐる…

意識はしっかりしている。

ぐるぐるしているのは。タミー(おなか)だ。

タミーグルグル。

 

マンゴーのせいではなくて、単に風邪?の疲労で体の調子が良くないんだろうな。

なんだか常にお腹張ってて く、苦しい…

トイレから出るたびげっそり―に。

 

魂って、口からじゃなくてケツから出てくんだね。

出る度に白目むいてたわ…!!

 

このままこんな状態が続いてもまずいので、

体調のましな日に例の薬局に行ってみることにした。

SMモールでトイレットペーパーを買うのも忘れずに。

 

学校からSMまでは15分かかるかかからないかくらい。

まずはトイレットペーパーだ!

 

そしてそこから薬局へ。

至って順調だった。

しかし、その数分後、この旅で一番衝撃的な経験

することになるなんて、思いもしていなかった。

 

生徒たちの足、トライシクルは僕を安全に目的地まで運んでくれた。

その道中、僕はボロボロの服をかろうじてまとっている子供たちが

壁の崩れた建物の残骸から僕のことをじっと見ているのに気が付いた。

 

『ああ、彼らがストリートチルドレンと言われている

子たちなんだ。』

そう思った。

 

 目的地に着くと、3,4人のストリートチルドレンがいた。

運転手に支払いをしながら気を付けないといけないなぁ。とは思っていた。

でも、彼らがいつの間にか僕に近づいてきて、僕にこう言った。

 

コイン

 

この一言だけ。

英語でないよ。と伝えても通じない。

ジェスチャーで伝えても、

「コイン、コイン、コイン!!!」と訴えてくるだけ。

 

その時後ろで、トライシクルのお兄さんが、

「Hey、ミスター!おつりだよ。」と言って僕におつりを差し出した。

その中にはもちろんコインも。

 

子供たちもコインに気が付いて、

「コインコインコイン!!!!」

と勢いよく繰り返した。 

 

そしてそそくさとトライシクルは行ってしまった。

…なんて野郎だ。

服が引っ張られる感覚に気が付いて周りを見ると、

子供たちは2,30人ではきかないくらい増えていた。

完全に、囲まれてしまった。

 

彼らのほとんどが日本でいう小学生になる前の子供だった。

服はのびのびでワンピースのよう。穴だらけで袖も襟もわからない。

靴もボロボロのサンダルか裸足。

 

中には、角材やさびたナイフを手にした子供もいたんだ。

そんな武器を構える腕は、

文字通り骨に皮が乗っているだけで細く、

そんな武器を持つ手は、

恐れか寒さか、重さからか、震えていた。

 

武器を持たない子たちは

手をお椀の形にして、僕にお金をせびるか、

服を引っ張るか、腕や足にしがみついてきた。

あんなか弱い体からは想像できないほど強い力で。

 

振りほどいても振りほどいても、次々絡みついてくる腕や小さな指たち。

待って、行かないでよ。

言葉は通じないけれど、彼らはそう訴えてきた気がした。

 

ごめんよ、ごめんよ。と繰り返し振りほどきながら薬局の前まで行くと、

870みたいなバカでかいショットガンを持った警備の人が

僕を招き入れ、代わりに彼が外にいる子供たちと対峙した。

 

子供たちは散り散りに逃げていった。

警備の人も撃つ気は初めからないらしい。

遠くなった彼らの背中からは、

子供の無邪気さは全く感じられなかった。 

 

僕は、あの時、彼らと目を合わせることはできなかった。

きっと、その時の僕では立ち直れなかっただろう。

結局、 お金は渡さずに済んだ。

 

武器を持つ子は距離を保っていたし、武器を握る小さな手はぎこちなかった。

目を伏せて、ただただ震える手で、武器を前に突き出すだけだった。

武器を見てもなお、僕が堂々としていられたのは、彼らからは攻撃を仕掛けてくるような気持ちはなかったと感じたからだ。

 

彼らの僕をにらみつけるように見つめる目は

とにかく、なんとも言えない感情たちを僕に与えてきた。他の大半はうまくいったが、ただ一つの感情だけ、

悲しみだけはずっと、拭い去れずに今日まで残っている。

服や体をつかんできた、あの感覚と一緒に。

 

 たまに、旅において悔いはないかと聞かれる。

僕は間違いなくこの経験が旅における最大の”悔い”だと答える。

なぜあの時、彼らに少しずつでもお金を分けられなかったんだろう?

 

彼らに会う少し前、そのまま無償でお金をあげることは、結局彼らのためにならない。と教えられたし、僕もそう考えていた。

稼ぐすべを知らない彼らに、”乞う”稼ぎ方を教えてしまうことになりかねないからだ。

 

ボランティアでも一緒。あげるだけのボランティアは、それは、現地を甘やかすことになりうる。実際に、そういった活動を行ったボランティアが支援先の人間に働き口をあっせんしたところ、働くことをボイコットしたり、怒って物資の要求をした事例もある。

 

理由は簡単。何もしなくても、勝手に支援してもらえる。怒れば、何とかなる。

そういった流れができているから。

 

でも。目の前で見た子供たちは…

声を上げることすらできない。

言葉がわからない、というのもあるが、圧倒的に弱い立場なんだ。

 

それでも、やはりそのままあげてしまうのには抵抗がある。

今になって思うのは、例えば道案内してもらうとか、

写真を撮らせておらうとか、何かに対する対価をつけれたらよかったんだと思う。

 

今でこそ、多少具体的なアイデアを出せるようにはなったけど、直後はとても悩み、悔しさや無力感に包まれた。

 

薬局に入った後の記憶はあまりない。

どうやって帰ったのかも。

ただちゃんと、薬もトイレットペーパーも部屋にあったので、無事だったんだ。

 

学校では教えてくれない、

部屋にいては分からない、

勇気を持たなくては体験しえない。

 

そんなことがゴロゴロと転がっている。

 

それらを体験しろとは言わない。

でも、書いたことのすべては事実だ。

皆さんなら、どうしただろう…?

 

実際に、今でもあのような子供たちがたくさんいる。

to be continued