jackpackerの日記

旅するアーティスト、Jackやで。バックパッカーの土産話、聞いてく?

【旅】弱小バックパッカーの奮闘記 世界一周の備忘録 vol. 15 フィリピン番外編

 

前回の記事はこちらー!!

 

 前回は、海外の蚊には気を付けようの巻。

jackpacker.hatenablog.com

 

今回も長め。あと、まとまりなんてものはない。すいません!

 

さてさて、今回は前回の続き。

デング熱にかかるに何をしていたのか?についてお話していきたいと思います!

 

僕は今回10日間ほどフィリピン、セブ島にいました。

いいだろー。

しかも今回はいつものような旅ではなくて、アートプロジェクトに参加!

 

「アートで貧困問題を解決したい。」

そんな思いで活動している”がっぽい”という

大阪に拠点を置く団体の活動に参加しました。

今回で2度目の参加。

前回はネパールのチトワンにあるタルー族の村にお邪魔し、

彼らのおうちに絵を描かせていただきました。

 

 

 

興味のある方は ”がっぽい アート” で検索!!

 

そして今回はセブ島バジャウ族のおうちに。

バジャウ族とは、インドネシアやマレーシア、そしてフィリピン付近の海域で

海の上で生活している人たちのこと。

海の遊牧民とも呼ばれ、漁などで生計を立て、

まさにその生活は海とともにあった。

 

そんな彼らが暮らす集落の中に、一人の日本人がいます。

松田大夢くん。今回の活動のサポートやバジャウ族を理解するための

アクティビティのほか、数えきれないほどのサポートをしてくれました。

 

大夢君について書くときっとブログ一つ分じゃ足りないので、検索してみて!

バジャウ族で検索すればヒットするほど!

 

 

 

バジャウ族についてはさっき「海の上で生活している」と書きましたが、

今でも海の上に家を立てて暮らしています。

海の家に建てていると、土地代や家賃が掛からないのだそう。

 

しかし、海からやってきたゴミが、彼らの村に流れ着く…。

だから、彼らの住む場所には常に悪臭が立ち込めている。

フィリピンの熱気が腐敗臭を、そしてゴミが、再び流れのない死んだ海を作る。

この循環が様々な悪影響を与えるのは、言うまでもない。

病気やケガの原因になるし、生態系も壊れるし、彼らの生活も変わる。

挙げだしたらキリがない。

 

大夢君曰く、「ここもかつては透明なきれいな海だったけど、埋立地ができてゴミがたまるようになった。

今ではすっかり様変わりした海を、彼らはどう思っているんだろう?

第二の家のような存在である海が汚れてしまってしまったが、

それでも彼らは海という”故郷”と深く結びついている。

 

皮肉なことに、埋め立てをしたのは日本だそう。

ODA。政府開発援助。

その埋め立て地に立っているのは、セブ最大級のショッピングモールだ。

地元の雇用を増やすことで、経済格差を埋めてゆく。そういう狙いがあるのだろう。

実際に、バジャウ族の人も何人か働いている人もいるらしい。

でもそのせいで、海は汚れてしまった。

この開発でバジャウの人々が得たものは一体、何だったんだろう…?

 

それでなくても大変な生活をしてきた。政府によって無理やり”陸地”に追いやられ、

”お金が必要な生活”が格差も生んだ。そして、埋め立てだ。

かつては自由だった暮らしが変わっていった。

文化が変われば人の生活は変わらざるを得ない。

そしてその変化は、心や、考え方すらも変えていく。

 

バジャウの人たちの中には、ほかのフィリピン人のように就職する人もいるそうだが、

現状まだまだな状況だ。漁で暮らす人、アクセサリーを売る人、

物乞いに行く人だっている。

ビニール袋(日本でいうスーパーの野菜を詰めたりするあれ)に詰める1ペソの水。

タンクから給水するタイプで、衛生面でリスクもある。(普通に飲めるけど)

ミネラルウォーターの500mlペットボトルが一本日本円でだいたい30円~40円。

これすら買えない。

「ペットボトルウォーター、いいなぁ。くれない?」と

バジャウ族が冗談交じりで言ってきたこともあった。

そこで、彼らが頼らざるを得なくなるのが1ペソウォーター。

多くの水を買うことができないから、安い水をたくさん買わなくてはいけない。

おなかを壊したり、病気になる確率も増していく。

結果として出費も多くなり、格差はどんどん、どんどん大きくなっていく。

 

失われつつある、かつてのバジャウの文化。

そして、ひろがる貧困問題。

この二つの問題がいい方向へ向く方法はないものか…

 

 

 

 

 

*******

 

 

 

 

 

 僕らの行ってきたアート活動に絞ってお話します。

 これが彼らの役に立つように、そう願って僕らは絵を描いた。

 

はじめは、プライマーと呼ばれる白い下地を塗る。

面白がって子供たちも手伝ってくれたから、その日の作業はあっという間に終了。

でも、次の日から「うちはやめてくれ」という声が相次いだ。

白色だけで終わると勘違いしたらしい。説明をして床や壁に色を塗った。

…はいいものの、村の人たちがペンキの床を踏んでしまったり、

壁を触ってしまったりして、色がぐちゃぐちゃになってしまった。

 

何日かかけて、何とか壁だけ塗り終えた。

その次の日「もう満足したから、絵はいいよ。」という声が。

確かに、木の色一色の風景よりカラフルになった。

でも、どこか中途半端だった。

前回ネパールに参加したメンバーは、絵を描くことで

もっといいものが作れることを知っている。

だから写真を見せたりして、何度も説明した。

でもこのことは、何度説明しても言葉では伝えられなかった。

 

百聞は一見に如かず。

そこで、許可をもらった場所に絵を描き始めた。

まだまだ反対する人もいたので、

大夢君のお宅でサンプルとして階段や扉、ベニヤ板に作業させてもらった。

絵を見せると、大正解!!!

絵を描いてもいいよ、と言ってくれる家が出てきた

 

そして、しまいには…

絵を描いていたら

「Jack、俺ん家にも描いてくれよ!」

「私の家にも!!」「手伝うから描いて!!」そんなお言葉を毎日いただけた。

もちろん僕だけでなく、ほかの参加者も同じくだ!

 

僕ら、そして村の人たちがいつの間にか一つになってた。

 

 この勢いで何とかペースがつかめた!

村の人たちの手伝い方もいつもと違っていた。

率先して、とかそんな感じじゃなく、僕らも村民のように扱ってくれた。

名前を覚えて挨拶してくれるし、果物や水、お酒も(!)分けてくれた。

何か困ったことがあれば一緒に考えてくれたし、解決するために一緒になって

助けてくれた。

 

そんな彼らに報いるためにも、

僕らもできる限りのことをした。

お互いが歩み寄った、

まさに理想的な環境で作業ができた。

 

作業中は集中しすぎて、ほとんど手元しか見てなかった僕が、

村での最後の瞬間に見渡した風景。

 

 

 

思わず涙出たよ。こらえられなかった。

 

ペンキの量も、日数も限られている中で、

できることはできるだけした。

そして、迎え入れてくれたバジャウ族のひとたちも笑顔だ

今回お願いはされたけど、

描けなかった人には申し訳ない。

でも、だからこそ。

僕たちはその果たせなかった約束のためにいつか必ず戻るんだ。

 

バジャウツアーのお話や、濃すぎる体験もまだまだいっぱいあるけど、今回はここまで!

 

to be continued